ハッピーエンド

「遠征は18歳になってから」という言いつけを律儀に守り、18歳になって10日後に満を辞して見に行ったのが2017年の未確認フェスだった。SUNNY CAR WASHの出番はラスト。ゲストバンドのミセスを最前で見るために朝から陣取ってたライブキッズにダメ元で声を掛けて、サニカーの出番の間だけ譲ってもらった新木場スタジオコーストの最前列。昨日の夜、眠る前にあの日の光景を思い返していた。「全部ぶっ壊しに来た!10代最後の夏、全部、全部ぶっ壊しに来た!」と叫び、文字通り爆音を掻き鳴らすライブが痛快で、このまま何もかもひっくり返してくれ、と思えた夜だった。その日のライブ終わりに物販で買い、メンバー3人にサインをもらったTシャツを着て、今夜ラストライブを見に行く。

 

というところまで、通行止めによる経路変更で遅延した高速バスの中で書き上げ、ようやく辿り着いたZepp DiverCity。サイン入りの初期Tシャツに初期パーカーを纏ったここぞとばかりの古参ムーブでも、座席は1階席の後ろから3列目なのは皮肉だ。前に立つお客さんごと見れるライブもそれはそれで乙だと思うのは強がりだろうか。 

 

開演前のゲストMCとして登場したとーやま校長。校長が代わったとしても、私にとっての校長はとーやま校長だけ。4年前の夏、新木場でサニカーを見た身からすればこんなに胸の熱くなる人選はないのに、会場はイマイチ沸いてなくて少し悲しくなってしまった。声さえ出せればなあ。もう少しだけ前の席だったらなあ。 

 

開演時間を少し過ぎた頃、会場SEの音量が少し上がって登場する3人。4年前の夏、初めて見たライブと同じ構成。演奏前、3人が順に目を合わせ、手を組み合う姿を見て、「ああそうだ、この光景だった」と、3年前に仙台で何度も見たライブを途端に思い出して一気に涙が込み上げて来てしまった。こんなに早く泣くなんて思ってなかったのにな。

 

3年前の春休み、仙台で毎月のようにライブをやっていてくれた頃、ステージの上に寝転んで転げ回って演奏したり、マイクに唇ぶつけて血流しながら歌ったり、爆音のノイズを残しながら袖に履けて行ったり、とにかく無茶苦茶なライブをしていた記憶ばかりあるのに、今日のMCはずっと穏やかで、マイクの前にきちんと立って歌う姿に4年も経てばそりゃ少しは丸くなってしまうよなあと何処か切なくなってしまったり。3人も、私も、それだけ大人になってしまったんだろうなと思いを馳せていた。でも、本編ラストにやったティーンエイジブルースで、とにかく無茶苦茶にアダムさんが叫んでいるのが聴こえて、これだよ、これじゃん!と思ってまた泣けてきてしまった。こんなに泣くなんて思ってなかったんだよ。本当に。

 

一瞬だった。事実、1時間半で全て終わってしまった。ラストライブなんだからさ、ダブルアンコールぐらいまでやってくれても良いと思うじゃんか。本編で持ち曲をほとんど全部やってしまって、アンコールで披露した3曲はどれも2度目の演奏。そんなところも愛おしい。本当に一瞬だった。初めて見た4年前のあの夜から、全部幻だったのかもしれない、そんな終わり方すらサニカーらしいと思えるよ。

 

全部、全部幻みたいにあっという間に終わってしまった。何もかもぶっ壊して、ひっくり返してくれよと願っていた。未練もなく呆気なく終わるバンドの姿というのは、何故あんなにも美しいのだろうか。18歳の私へ、あなたの信じたバンドは、最後まで間違いなく格好良かったからな。誰よりも美しい終わりだったからな。

 

どうか、どうかいつかまた、何年先何十年先でも、その才能を殺さずに、また新たな音楽を聴ける日が訪れますように。ベロベロに酔っ払った回らない頭でも、アダムさんの曲をまた聴ける日を夢見て、拙いライブレポートを終わろうと思います。最高に嬉しくて、最高に楽しくて、それでも最高に悲しくて寂しいライブ納めでした。来年も、愛してやまない音楽を好きなだけ浴びられますように。みんな、良いお年を。

夏じまい

色々と書き残しておきたいことができたけど、ツイートじゃ長くなってしまいそうなのでブログを書くことにした。流石にそろそろブログを動かしたかったというのもある。こういう風に長文を書き殴りたい衝動が極限まで湧き上がらない限りブログが完成しないので、更新頻度が一向に上がりません。

 

本題に入りましょう。

 

この前の週末、滑り込みで夏を取り戻してきた。あまりに楽しく嬉しい夜だったので、覚えておきたいことを忘れないうちに書き残しておこうと思う。土曜の夜、長い人では7年目の付き合いになる同級生たちと、去年から仲間入りした留学生3人も交えてバーベキューをした。去年も同じように集まってから1年振りにみんなでお酒を飲みながらご飯を食べた。何をするにも人目を気にするようになってしまったこんなご時世だけど、夏の思い出をひとつ作るぐらいは許されるだろうか。

 

もう、集まって買い出しに行く時点から楽しくてうきうきしていた。友達の家に戻ってきて、買ってきた野菜を私と件の彼女で下拵えをした。好きな人と2人でキッチンに並ぶ日が来るなんて、一体誰が予想できた?いやこの言い方は少し語弊がありすぎるけど。ピーマンの頭とおしりのかわいさは残念ながら伝わらなかった。ピーマンの種の取り方も違かった。私は上下を落としてから種を押し出すんだけど、彼女は縦半分に割ってから種をくり出すらしい。茄子が共通の好きな野菜だというのも初めて知った。こういう他愛もない話ばかりを果てしなくしていたい。

 

食事中も当然のように楽しかった。最近は夏休みで授業もなくて、家族と話すかバイト先で中学生と話すかしかなかったから、久々に友達に会えると調子に乗って喋り過ぎて後々自己嫌悪に陥るっていうのがお決まりのパターンなんだけど、今回は久々に好きなだけ喋れるという状況がみんな一緒だったので、それぞれが好き勝手に喋ってて本当に楽しかった。長い付き合い故に自然にそうなっていったのかはわからないけど、10人近くいるのにお互いの気の配り具合が絶妙で、その距離感が私にとってはとても居心地がいい。私は今まではあまり自己開示をするような人間ではなかったので、多分みんなにはあまり伝わっていないのだろうけど、実は今いるこの環境がかなり好きだ。卒業まで残り半年しかないし、好きなものは好きだともっと口に出していきたいな。

 

「酔ってきたなー」と件の彼女が言い出すので、「そんなに飲んだの?」って飲みかけのほろよいを持ってみたら3口分ぐらいしか減ってなくてかわいかったな。2、3時間かけてようやく一缶飲み終えてた。もしもこの先誰かと付き合うのなら、自分と同じくらいお酒が飲めるか、量は飲めずともお酒が好きな人がいいな。みたいな感じで、ここはあまり合わないかもな、という点を見つけながら恋愛感情を薄める努力はしている。彼女が元の友達のように接してくれるのだから、私だって今の環境にいる間はただの友達として振る舞いたい。

 

食事も後片付けも終えたあと、近くの河原に花火をしに行った。もうシーズンが過ぎてしまったせいでオーソドックスな手持ち花火は手に入らなくて、僅かな花火を抱えてみんなで夜道を歩いた。手持ち花火が手に入らなくて仕方なく買ったロケット花火が爆音過ぎて焦ったり、そのロケット花火があらぬ方向に飛んで件の彼女のズボンが焦げたり、ネズミ花火が一瞬で燃え尽き過ぎて拍子抜けしたり、手持ち花火を持ちながら踊る留学生の動きが独特で爆笑したり、青春を絵に描いたような時間だった。今年唯一の夏らしい思い出だったかも。

 

その後は夜通し二次会。お酒飲みながら人狼したり、マリカーしたり、初めてカタンしたり、うわー!大学生っぽい!って思える夜だったな。眠くなった人から段々と脱落してって、完全にお開きになったのは朝5時過ぎ。歯磨きして化粧も落として寝る体勢は整えたけど、体に染み付いた劣悪生活リズムと、楽しさ故にハイテンションになっていたせいか全然眠くなくて、なんとなくツイッターでも眺めながら眠気が訪れるのを待っていた。

 

ちょうどみんなが寝始めた頃、だいぶ早い段階で一時脱落していた件の彼女が起きてきて、部屋の隅で横になりながらぽつぽつと会話をしたのが一番良い時間だった。色々と話しているうちにセクシュアリティについての話題に辿り着いたりもした。確か私が、いっそやけくそでマッチングアプリでも初めてみようと思っているが、男性と出会えばいいのか女性と出会えばいいのかわからない、とか言い始めたのが原因だと思う。なんかもう、彼女に告白した時点で同性に恋愛感情を抱くことを知られてるんだし、私がそこからずっとフリーなのも知られてるし、さらに過去には異性に恋愛感情を持っていたことも知られてるし、もう何も隠すことなくない?みたいな開き直りの感情が生まれてしまっている。向こうからしたらいい迷惑だよな。

 

とにかくその日は、朝方だし、酔ってるし、多分3割ぐらい脳が寝てたし、とか色々相まって一方的にかなり開けっ広げに話してしまった。それでも彼女は、私が感じた限りでは、特に否定的な素振りも見せずに付き合ってくれた。それどころかスマホで色々見ながら「このアプリ良さそうじゃん」とか、「こんなに色々分かれてるんだ。分かれすぎじゃない?」とか、知る姿勢が少なからず見えたのが嬉しい驚きだった。2年前、多分これからずっと今までのように接することはできない、とまで言われた相手とこんな話ができるようになるとはな。帰ってから気持ち悪がられたりしてないかな。ちょっと今更ながら後悔が生まれてきたかもしれない。でも、今日も連絡を取っていた限りでは何も変わってなかったから大丈夫なはずだと信じたい。気づいたら彼女は別の部屋に行ってしまっていたし、私も微睡んでたし、もしかしたらあの時間は夢だったんじゃないかとさえ思えてくる。でも、私と彼女の間に生まれた亀裂はきっとかなり塞がったはずで、昔のように他愛もない話を延々とできるし、少しは本音が混ざった話もたまにはできる。それは確かな事実。

 

この記事を書く前に、今までに書いた文章を遡るように読み返してみた。振られた直後の文章を読んでいたら当時の気持ちがまざまざと蘇ってきて、結構泣きそうになっちゃったな。よく1人で耐えてたね。つらかったね、2年と少し前の私。関係を断ち切るための連絡が送られてきてどうしようもなくなって、時間が解決してくれるのを待つしかない、時間しか解決してくれない、と言い聞かせながらどうにか日々をやり過ごした甲斐があった。時間はちゃんと解決してくれるよ。進学後の2年間を想像して絶望に暮れていたけど、その2年間は想像を遥かに超えて案外楽しい日々を送れているよ。あと半年で卒業して散り散りになってしまうのが悲しいほどに。

 

学生最後の夏に滑り込みで思い出ができて良かった。学生2年延長したおかげで、思いがけず結構青春を昇華しながら過ごせている。あと半年、次は冬にでもまた、鍋でも食べるために集まりたいな。集まれるご時世と関係性でありますように。

 

拝啓

まだ純粋無垢だった15歳の私よ、信じられるか。

go!go!vanillasが、今夜武道館の舞台に立ったよ。

 

武道館の天井に星空みたいに照明が瞬いて、4人がセンターステージに飛び出してきて、聴き馴染みのあるドラムロールと共にオリエントが鳴り響くんだ。シングルバージョンじゃなくて、Magic Numberバージョンね。1曲目からこんなのずるいよな。人が泣く場面で自分ばっかり泣けなくて、自分は感受性が薄いんじゃないかと悩んでいた頃が馬鹿馬鹿しいぐらいに、初っ端からぼろぼろと泣いてしまったよ。

 

15歳の夜に、ラジオから流れてきたマジックに一瞬で心を掴まれて、どうにか聞き取ったバンド名を「変な名前だな」なんて思いながら慌ててメモ帳に書き殴った、あの夜が全ての始まりだった。電気を落とした暗い部屋が、一気にぱっと明るくなったような、あんな気持ちは初めてだった。思えば、あれからずっとロックンロールの魔法にかけられている。

 

初めてライブハウスに足を踏み入れたのも、バニラズがきっかけだった。高1の3月のKameleon Lightsツアー仙台公演。ろくにステージは見えないし、知らない人にもみくちゃにされるし、暑いし、疲れるし、でも、それ以上に、大好きな音楽が爆音で鳴り響くあの空間に魅せられていた。汗止まんないしまるでサウナだな、なんて思ってたけど、まさか5年後にボーカルが「武道館を日本一大きなサウナルームにしよう」なんて言い出すとは思わないよな。

 

バニラズを見るためにいろんな土地にも行ったね。どうしても見たいライブに限って、大抵テストや課題の直前だった。だから、事あるごとに無茶なスケジュールで遠征をした記憶がある。お陰で1人でどこへでも行けるような人間になってしまった。普段はそんな事ないくせに、好きなもののことになると突発的に無茶しちゃう自分の性格、実は結構気に入ってる部分だったりするよ。

 

気づいたらいろんな場所にたくさん友達ができていた。住んでるところも年齢もバラバラで、名前も顔も知らないのに3、4年もの付き合いになるような友達がさ、ようやく今日大集結したんだよ。夢みたいな話だね。いつか、何年か経ってみんな成人した時にまたこんな機会が訪れたら、その時にはお酒でも飲みながら青春を懐古して語り明かしましょう。

 

バニラズと出会ってからもう6年も経ったらしい。いろんなことがあったよな。私の人生も、バニラズも。嬉しいことも悲しいことも。でも、なんだかんだバニラズの曲たちはずっと聴き続けていた。どの曲を聴いても思い出が湧いてくる。いや、流石にそこまでは言い過ぎだろうか。でも確かに、バニラズの音楽は私の人生の主題歌として鳴り続けている。そんなことを言ったら烏滸がましいかもしれないけど、今夜ぐらいは許されるだろう。

 

6年前は、いや、去年の今頃ですら、未来にこんなにも不安や窮屈さやもどかしさが溢れるようになってしまうとは思ってもいなかった。左右前後に間隔が空いたライブも、歓声が上げられないライブも、あの曲やあの曲を一緒に歌えないライブも、微塵も想像していなかった。今日なんて、私がいたブロックの同じ列に誰もいなかったんだよ。流石にそこまで空けられると寂しい。そんな偶然はさておき、思うように声を上げられないライブにはどうしてももどかしさを感じてしまうけど、今夜聴いたおはようカルチャーは、メンバー4人だけが歌っているはずなのになぜかそんな気がしなかったんだよな。牧さんがMCでも言ってたけど、心で歌っていた思いが響いていたんだろうか。でもさ、やっぱ大きい会場でみんなで歌うおはカルがまた聴きたいよな。めちゃくちゃ好きなんだもん、四方八方から声が溢れてくるようなあの瞬間。いつか、何年後かわからないけど、次は満員の武道館で再開しような。それまでは生きるから。生きてれば必ず会えるから。

 

あんなにも夢見ていた武道館が、ついに終わってしまったのか。事あるごとに涙が溢れて、それでいて笑みも溢れてしまうような、幸せな空間だったな。この夜で、私の青春は一区切りついたような気分です。15歳の少女だった私は、気づけばすっかり成人して、もう21歳にまでなってしまったよ。私にロックンロールを教えてくれてありがとう。紛れもなく私の青春だったよ、go!go!vanillas

 

サクッと書いて寝るつもりだったのに、気づけばこんなにも長々と書いてしまった。もうあと2時間ほどで仙台に着いてしまう。現実に戻ってしまうな。生きていればきっとまたこんな夜が来るはずなので、それまではほどほどに頑張って生きていようかな。

年報

 8月17日、パイナップルの日に21歳になりました。誕生日とかいう理由でもないといつまでも更新をサボっちゃうので、今日ぐらいはつらつらと文章を書きます。もう日付変わっちゃったけど。頭の中には文章にしたい話題がいくつもあるのに、いざ文字を打とうと思うと億劫になっちゃっていつまでも溜め込んでしまう。もっとサクッと書いてサクッと更新したいけど、治らないんだろうなー、この怠惰な性格は。

 

 21年も生きてるって結構凄くない?なんとなく気になって調べてみたら生まれてから7671日らしいです。ちなみに2027年の1月2日で生まれてからちょうど10000日になるらしいです。その日まで覚えてられるかな。自分が21歳だという事実にあんまり実感が追いついていない。あと何年生きるのかな。歳を取れば取るほど、死が美しくない年齢になってしまいますね。

 

 それから、歳を重ねるほどに誕生日という1日に対する特別感が薄れていくのも寂しいね。昔は胸躍らせていた誕生日プレゼントが現金になったり、そもそも何かをもらえるような年齢じゃなくなったり、バースデーケーキにろうそくを灯すこともなくなったり。こうやって子どもの心を失いながら大人になってしまうのか。それなりの人間関係を構築できている人なら誕生日を一緒過ごしてくれる友人や恋人がいるものなのかもしれないが、生憎私はどちらも持ち合わせていないので、今年の誕生日も家族としか会わずに終わってしまった。いつかまた、誰かに思いっきり誕生日を祝われてみたいな。でもサプライズは苦手なのでできればやめてほしい。喜ばなきゃいけないというプレッシャーを感じてしまうので。一体誰に向けて書いているのやら。

 

 ハタチの1年を振り返ってみるとなんだかんだ充実していたんじゃないでしょうか。ありきたりな感想だけど、長かったような短かったような感じ。ああ、この人とは意外ともう少し長い付き合いになりそうだなって友達が増えたりもした。あとは、お酒を飲むことは思ったよりも楽しいと気づいた。まだ数えるほどしか行ったことないけど、飲み会という空間は案外好きかもしれない。お酒での失敗はまだしていない。若さを免罪符にできるうちに酔い潰れたりしてみたいな。早くまた、好きな時に好きな人と会える日が戻ってくれますように。

 

 この先の1年はどうなるのかな。私の1年先どころか、世界の1年先すらどうなっているのか想像がつかない世の中になってしまった。気づけば最後にライブハウスに行った日から半年も経っている。あのバンドを見るまでは、あの曲を聴くまではと、どうにか生き抜いてきたはずなのに、次の目標がいつまで経っても見つからない。ライブに行けないということが当たり前になっていく状況が怖いよ。ライブハウスにもフェスにも行けない味気ない日々なんて、頼むから早く終わってくれ。

 

 随分と誕生日の話題から逸れた気もするけど、明日は早起きするのが目標なのでここらで終わらせてしまいましょう。夏休み序盤だとかお盆だとか誕生日だとか理由をつけて何もかもサボっていたけど、明日からは色々サボっていた分のツケを返していこうと思います。あくまで無理せず、ほどほどにね。それじゃあおやすみなさい。

同居人

 一体いつから抱えているのかわからない。ここ3、4年のことだろうか。気づいたらしばらく前から、ゆるやかに死にたい気持ちを抱えながら生きている。今すぐにビルから飛び降りてしまいたいような強い感情ではない。ああ、なんか別にいつ死んじゃってもいいかもなあ。というあいまいな感情だ。

 

 死んだら何もかも終わっちゃうんだよ。と諭す人がよくいる。全部終わっちゃえばいいのにな、と思ってるから言ってるんだよ?きっとわからないんだろうなあ、この気持ち。

 

 なんでこんな気持ちを持つようになったのか、最近よく考えている。多分、私は人生に期待していないみたいだ。何かを成し遂げたくて生きていたり、生涯を捧げたいほどの愛情を誰かに向けて生きていたり、そういうのが私にはなくて、ただ、終わりに向かって生きている。生きることが素晴らしい、という気持ちが私にはない。

 

 別にわかりやすい苦しみを抱きながら生きてきたわけではない。むしろ恵まれた環境で生きてきた方だと思う。好きなものだって、楽しみにしていることだってそれなりにある。だけど、なぜか生きていることを慢性的に苦しく感じてしまう。一人きりでずっと水中にいるような気分だ。きっとこの気持ちは何かひとつのきっかけで晴れるようなものではなくて、ずっと心の中に棲まわせながら、どうにかうまいこと一緒に暮らしていかなきゃいけないんだろうなあ。

 

 なんで急にこんなブログを書きたくなったのか、自分でもよくわからない。なんとなく、140文字の制限に縛られずに文字を打ちたくなった。今、初めてパソコンでブログを書いてるので、文字通り文字を打っている。この期間に山ほど出された課題のおかげでタイピングが少し早くなったようで、キーボードで文字を打つことがちょっと楽しくなったかもしれない。

 

 最近、夜ご飯を食べたらすぐに、妹と一緒にお風呂に入るというのが習慣化している。20歳の姉が高1の妹といまだに二人でお風呂に入るというのは、おそらく世間でもかなり仲のいい姉妹の分類に入るんじゃないかな。妹がまだ小さかったときは、5歳の壁があまりにも大きくて、ことあるごとに腹を立てていた。でもここ数年は、妹が年齢的にも精神的にもだいぶ大人になって、対等に話せるようになったことがすごく楽しい。私は勉強ができるけど生きるのが下手で、妹は勉強ができないけど生きるのが上手い。妹とはなんでも話してそれなりに共感しあうような関係だけど、根底にある考え方みたいなものはまるっきり違くて、妹みたいな考え方ができればきっと死にたいなんて気持ちを抱くことなく暮らせるんだろうなと、少しうらやましくなった。

 

 まずい。終着点が見当たらない。という気持ちをそのまま書くことで、ここで終わりにしてしまおうという作戦です。早く妹とも一緒にお酒飲んだりしたいなあ。なんて、こんなこと書いてる時点で、なんだかんだ長いこと生きていくんだろうな。

 

 

1/4

15歳の春から5年間、20年生きた人生の4分の1にあたる5年間を過ごした学校を、日付的には今日で卒業したらしい。いや日付変わっちゃったけど。まあ夜が明けてなければセーフということで。

 

とは言っても、件のウイルスのせいで卒業式は中止。その後の祝賀会やクラスの分散会ももちろん中止。卒業式が予定されていた日の翌日に自宅に郵送されてきただけの卒業証書だけで卒業した実感を持てと言われるのは無理がある。加えて私は4月からも同じ学校の次の課程に進学するので、環境なんか全くと言っていいほど変わらなくて、そのせいで余計に卒業の実感が湧かない。次に学校に行った時もまだ友達がみんないるんじゃないかって気になっているけど、5年を共にした42、3人のクラスメイトは就職やら進学やらで既にばらばらになっていて、同じ課程に進む学科の同級生はたったの9人になってしまった。本当なら卒業式の夜にみんなで飲みに行って、そんな夜ぐらいは昔話なんかしたりして、別れの夜に浸って感動的なお別れができると思っていたのに。でもそれは叶わなくて、卒業設計の合格発表のために2月頭に教室に集められたきり大半のクラスメイトとは会うことのないまま、まるで流れ解散みたいなお別れ。それが本当に寂しい。最初の2、3年は教室が嫌いで、クラスメイトも大半が嫌いで、授業が終わればすぐ帰宅。みたいな生活を繰り返していたのに、いつの間にかあの環境が随分と好きになっていたらしい。

 

最初にも書いたけど、人生の4分の1を同じ環境で過ごしたのかと考えると、学生生活をちょっと振り返ってみたりしたくなった。春休みも終わるギリギリのタイミングで。ちょうど文章も書きたくなってきたところだったし、休み続けて怠けきった頭を動かすためにも、5年間を回顧するブログでも書いてみようかと思った。

 

もう5年経ったのか、と思っている自分の方が大きいけど、ようやく5年経ったのか、と思っている自分もいる。歳を重ねるほどに相対的に体感時間が早くなるらしいけど、確かに後半の2、3年の方があっという間だった気もする。

 

1年目。5年間で1番希望に満ち溢れていた。入学時点がモチベーションのピーク。やりたかったことがやらなきゃいけないことに変わって、どんどん現実が見えてしまって、やる気を失っていく、というのは恐らく高専生あるある。数年後にそうなっていることも知らない15歳の私は、中1の頃から目指していた学校に入学できた喜びを噛みしめながら、5年間の学生生活をスタートさせた。入学直後は全然友達が出来なくて、中学の大好きな友達との生活を思い出して家のお風呂でめそめそ泣いたりした夜もあったな。友達作れなくて泣いちゃう15歳の私かわいくない?今じゃ想像もつかないな。まあ友達を作るのが下手なのは昔から変わらないので、結局5年経っても心から友達だと思えるような関係は2、3人としか築けなかった。数より質だからいいんだよ。乳児の頃からずっと続けてきた水泳は中学の3年間でやり切った気持ちになっていたけど、辞めるかどうか迷いながらも結局入部した水泳部でひとつ上の先輩に惚れて部活に明け暮れたりもしていた。夏の間は毎日のように外プールで泳いでいたから、自分の国籍を疑うほどに真っ黒に焼け焦げていた。建築ももちろんめちゃくちゃ頑張りたくて、全国の高専生同士で競うコンペに、何も知らない1年生のくせにのこのこ参加しちゃったりもした。先輩たちのチームに混ぜてもらったら幸運にも本選に選ばれてしまって、学校のお金で和歌山旅行ができた。ここで運良く成功例を作ってしまったせいでこの後5年間参加せざるを得ないルートになってしまったのは後の祭り。とにかく何をしてても充実してて、生活めちゃくちゃ順調じゃん、とか思ってたのは今振り返ると1年目だけだった。

 

いや長えな。このペースでいったら夜が明けてしまう。

 

2年目。自分で望んで選んだ環境なんだから頑張らなきゃ、という自分と、なんか段々しんどくなってきたな全部辞めちゃいたいな、という自分がせめぎ合っていて苦しかった。特に部活。私はもう競技として水泳を突き詰めるつもりはさらさらなくて、なんだかんだプールは好きだし、好きな先輩と話せるの嬉しいし、別に結果は出なくても楽しくやれてりゃいいやというスタンスだったんだけど、私の学年が入部した頃から徐々に部活を牛耳り始めた外部コーチのせいでそれは叶わなかった。端的に言うと部活全体のモチベーションに自分がついていけなくなってしまった。大好きだった水泳部の雰囲気がまるでそのコーチに塗り替えられていくみたいで、あんなに楽しかったはずの部活が苦痛でしかなくなって、心が折れて、逃げるように辞めてしまった。この頃はまだクラスメイトもなんとなく苦手で、教室も居心地が悪くて、部活にも行かなくなって、とにかく学校の中に居場所がないような気分だった。その頃にツイッターを始めた。それまでも情報収集のためのアカウントは動かしていたけど、自分からツイートするようになったのはこのときが初めてだった。同じ頃にバイトも始めた。人生初バイトが3年半経った今でも続いてるのはなかなかすごいと思う。いくらでも情報を手に入れられる環境ができて、それでいて自分から発散もできて、仕舞いには資金まで増えてしまったので、ここからどんどん趣味にのめり込んでいった。1人でライブにも行き始めて、何をするにしてもどんどん1人耐性がついていく。こうして人生はこじれていくのか。

 

3年目。なんか苦しかったことばっかり思い浮かぶな。建築学科らしい科目がどんどん増えてきて、本格的に設計も始まって、とにかく常に何かに追われていた。あんなに夢見ていた設計の授業は、課題という名の義務に変わった瞬間物凄く苦しくて、一時期学校を辞めることばかり考えていた。そんな時期に1年生の頃から続けていたコンペでまたしても本選に進んでしまって、毎日のように終バスまで学校に残る日々が続いたり、同じ時期にお母さんが入院して家事を一気に請け負うことになって時間的にも精神的にも参ったり、とことん追い詰められているような日々だった。ただでさえ冬が嫌いなのに、この年の冬はとてつもなく長くて、苦しくて、暗かった。苦しかったから文章も短い。

 

眠くなってきたけど終わるかなこれ。ちなみに今は2時半。本当はこのブログ、30日に書き始めて31日中に上げるつもりだったんだけど、なんか気分が乗らなくて、いや本音を言うと面倒臭さが勝ってしまって全然書き始められなかったんだよね。でも書かずにいたらいたでもやもやしてくるし、やっぱり書こうと思い立ったのが31日の夕方。相変わらずの怠惰な性格のせいで結局こうして焦っている。

 

気を取り直して4年目。心境的な変化が結構多かったかもしれない。3年生の終わり頃はどん底にいる気分だったけど、研究室に配属されたおかげでちょっと這い上がれた。教室が嫌いで、部活も辞めて、建築も嫌になっていて、どんどん学校に居場所がなくなっていたけど、研究室という居場所を獲得したことでちょっとずつ学校が楽しくなってきた。この研究室を選ぶのにも色々と悩んだけど、最終的には成り行きで、1年生の頃からコンペのたびにお世話になっていた研究室を選んだ。あとはその研究室が学内1大所帯で、学内1所謂できる人たちの集まりで、そのせいで学内1ブラックで、そんな環境に身を置けば自分ももうちょっとマシな人間に戻るかなと思ったのが理由。実際に入ってからはやらなきゃいけないことが格段に多くなったし、仕事多すぎて投げ出したいしなんでこんなとこ入っちゃったんだろうって何回も思ったけど、忙しいからこその楽しさも結構味わえた。それから何よりも、同じ研究室に配属されたことをきっかけに、それまでただのクラスメイトだと思っていた人に恋をしてしまったおかげで、毎日が楽しくて仕方なくなった。彼女には勝手に随分と助けられた。今思い返すと、自分の心の中だけに想いを秘めていたあの時期が1番心地良かった。設計やら研究やらに追われてとにかく忙しかったけど、彼女のおかげで気づいたら乗り越えられていた。浮かれている人間の力とは素晴らしい。

 

ようやく5年目。月並みなことを言うけれど、あっという間だった。体感時間は早かったんだけど、その中身は随分と濃かった。6月、初めて恋をした同性に自分の気持ちがバレそうになって、ずっと秘めておくつもりだった想いを伝えてしまって、そして、拒絶された。この出来事については今までも散々書いてきたので、ここでは多くは書かないでおく。ただ、彼女への想いをずーっと引きづったままの1年弱だった。何をしていてもずっと、頭の片隅で彼女を意識していた。3年生で1度とことん嫌になった建築は、研究室にいることで受ける刺激がとにかく多くて、4年生の後半あたりからまた少し楽しくなってきていた。悩めば悩むほど自分の設計に対して評価がもらえて、そこにはもちろん良い評価も悪い評価もあって、もっと頑張りたいと思えるようになった。ここに来てモチベーションの再上昇。秋には、自分の設計した作品が学校代表としてそこそこ大きなコンペに出してもらえることになって、社会見学のつもりで参加したそのコンペでは予想外の優秀賞に選ばれたりもした。評価してもらえたらことに対する喜びはもちろんあったけど、それと同時に賞金3万円に対する驚きが大きくて、自分の設計は金になるのかという新鮮な驚きがあった。でもこのまま上手くはいかないのが私の人生。1度評価されたことでどんどん自分にプレッシャーをかけてしまって、この後の卒業設計では見事にどツボにハマってしまう。卒業設計も最初はめちゃくちゃ頑張りたかったし、頑張るはずだった。でも、やってもやっても上手くいかなくなってしまって、もうどうしたらいいのか本当に分からなくなって、気づいたら何もできなくなっていた。1月半ばは本当に苦しかった。3年生がどん底だと思っていたけど、それを超えて沈み込んでいた。とことん沈んでいく自分の悪いところが人生最大レベルで発揮されてしまった。締め切りまでに完成する未来が本気で見えなくて、急がなきゃいけないのに頭も手も動かなくて、研究室にも行けなくて、もしかしてここまで来て卒業出来ないかもなって本気で思ったりもした。周りから見ればそんなことはなくて実際いくらでも立て直せる状態ではあったんだけど、自分にとっては本当に地獄みたいな状況で、久々に本気で死にたくなっていた。でもこのままじゃいよいよまずいし、もう自分じゃどうにもできないと思って、助けを求めるためにようやく学校に行けたのが提出2週間前。呆れられているだろうなと思っていた人たちみんな優しくて、泣いてしまいそうだった。とにかく卒業するために、もうどうにでもなれという気持ちで間に合わせた設計は、最終的には何故かそれなりの評価をもらえたりして、どうにか無事に卒業単位を揃えることができた。めちゃくちゃ苦しかったし、卒業設計なんてもう二度とやりたくないけど、最後の1週間で学校に泊まり込んでいろんな人と励まし合って乗り越えた夜は好きだったよ。5年かけてようやくクラスが好きになった。だからこそ卒業式、やりたかったなー。

 

無計画に思い出したことどんどん書いてたらこんなに長くなっちゃった。果たしてここまで辿り着いてくれる人はいるんだろうか。こんなの読んでて楽しい人いるのか?

 

昨晩連絡が来たけれど、どうやら6日から通常通りに授業が始まってしまうらしいので、残り2年間の学生生活も間も無くスタートしてしまう。2年後卒業する時には私は22歳。22年の人生のうち7年間を同じ環境で過ごすということになる。果たしてその頃どんな人間になっているのか、どんな道に進むと決めているのか、今は全く想像がつかないけど、とにかくあと2年頑張らなきゃな。今までの5年は苦しいことの方が多かったから、これからの2年は出来る限り無理せず、楽に生きたいな、なんて思っているけどどうせ叶わないんだろう。どうせなら苦しくて忙しいよりも、面白くて忙しい日々にしたいよね。2年後無事に卒業できたら、またこんな風に振り返ろうか。

 

新聞配達のバイクの音が聞こえてきたので流石に終わりにしよう。空はまだ暗いからギリギリセーフってことで。おしまい。

2週間以上かけて書いた文章をどうにか無理やり完成させたばかりだけど、言葉にして残さなきゃいられないような出来事があったので突発的に書く。今は学校帰りの電車の中。目標は家に着くまで完成。

 

今日は卒業設計の2回目の中間発表だった。例年に比べて異例な前倒しのスケジュールとか、まっすぐ向き合いたいテーマはあるのに言語化が下手糞なせいで上手く伝えきれないもどかしさとか、なかなか形にならない自分の頭の中で渦巻いているものとか、妥協したくない気持ちはあるくせにすぐ怠けてしまう弱い根性とか、邪魔なプライドとか、どこまでもネガティブな自分とか、とにかくいろんな悩みがあっていっぱいいっぱいになっていた。もうどう進んだらいいか分からなくて、研究室で1番尊敬できる先輩にエスキスという名の相談をお願いした。全然上手く喋れなくてまた自分が嫌になってたのに、時間をかけてでもどうにかわかろうとしてくれて、ヒントやアドバイスをたくさんくれて、目を見て肯定してくれて、情緒が不安定すぎて何度も泣いてしまいそうになった。エスキス中に泣き出す後輩なんてどう考えてもやばいからどうにか堪えたけど。明確に前に進んだ訳ではないけど、一歩ずつ登っていけそうな気がした。頑張れそうな気がしてる。やるしかない。

 

私が帰らなきゃいけない時間ギリギリまで付き合ってもらえて、ひとしきりお礼を言って慌てて研究室を出たら、いつもよりもくっきりと黄色い月が随分低い位置に昇っていた。とにかくやるしかないという気持ちで心を燃やしながら、先輩の優しさやか暖かさや偉大さを噛みしめながら、感傷的な気分で自転車に乗って坂を駆け下りた。田んぼの真ん中を、月を眺めながら自転車を漕いでいた。そしたらさ、ちょうど私が向かっていく方向のまっすぐ先の空に、流れ星が流れたの。こんなことあるのかよって思って、また泣いちゃそうになった。こんな悪戯みたいな、プレゼントみたいな綺麗な夜、出来すぎてるでしょ。きっと地球のすべてが私の背中を押してくれている。やれるとこまでやってみることにする。この先の2ヶ月弱は多分ものすごく苦しむだろうけど、苦しんだ分だけ一生の糧になる気がしてる。こんな熱い気持ちになった夜を忘れないために急いでこの文章を書いた。

 

学校を出てから1時間。慌てて文字を打ち始めてからは45分。家に着くまではあと15分ぐらい。やればできるじゃん、私。