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15歳の春から5年間、20年生きた人生の4分の1にあたる5年間を過ごした学校を、日付的には今日で卒業したらしい。いや日付変わっちゃったけど。まあ夜が明けてなければセーフということで。

 

とは言っても、件のウイルスのせいで卒業式は中止。その後の祝賀会やクラスの分散会ももちろん中止。卒業式が予定されていた日の翌日に自宅に郵送されてきただけの卒業証書だけで卒業した実感を持てと言われるのは無理がある。加えて私は4月からも同じ学校の次の課程に進学するので、環境なんか全くと言っていいほど変わらなくて、そのせいで余計に卒業の実感が湧かない。次に学校に行った時もまだ友達がみんないるんじゃないかって気になっているけど、5年を共にした42、3人のクラスメイトは就職やら進学やらで既にばらばらになっていて、同じ課程に進む学科の同級生はたったの9人になってしまった。本当なら卒業式の夜にみんなで飲みに行って、そんな夜ぐらいは昔話なんかしたりして、別れの夜に浸って感動的なお別れができると思っていたのに。でもそれは叶わなくて、卒業設計の合格発表のために2月頭に教室に集められたきり大半のクラスメイトとは会うことのないまま、まるで流れ解散みたいなお別れ。それが本当に寂しい。最初の2、3年は教室が嫌いで、クラスメイトも大半が嫌いで、授業が終わればすぐ帰宅。みたいな生活を繰り返していたのに、いつの間にかあの環境が随分と好きになっていたらしい。

 

最初にも書いたけど、人生の4分の1を同じ環境で過ごしたのかと考えると、学生生活をちょっと振り返ってみたりしたくなった。春休みも終わるギリギリのタイミングで。ちょうど文章も書きたくなってきたところだったし、休み続けて怠けきった頭を動かすためにも、5年間を回顧するブログでも書いてみようかと思った。

 

もう5年経ったのか、と思っている自分の方が大きいけど、ようやく5年経ったのか、と思っている自分もいる。歳を重ねるほどに相対的に体感時間が早くなるらしいけど、確かに後半の2、3年の方があっという間だった気もする。

 

1年目。5年間で1番希望に満ち溢れていた。入学時点がモチベーションのピーク。やりたかったことがやらなきゃいけないことに変わって、どんどん現実が見えてしまって、やる気を失っていく、というのは恐らく高専生あるある。数年後にそうなっていることも知らない15歳の私は、中1の頃から目指していた学校に入学できた喜びを噛みしめながら、5年間の学生生活をスタートさせた。入学直後は全然友達が出来なくて、中学の大好きな友達との生活を思い出して家のお風呂でめそめそ泣いたりした夜もあったな。友達作れなくて泣いちゃう15歳の私かわいくない?今じゃ想像もつかないな。まあ友達を作るのが下手なのは昔から変わらないので、結局5年経っても心から友達だと思えるような関係は2、3人としか築けなかった。数より質だからいいんだよ。乳児の頃からずっと続けてきた水泳は中学の3年間でやり切った気持ちになっていたけど、辞めるかどうか迷いながらも結局入部した水泳部でひとつ上の先輩に惚れて部活に明け暮れたりもしていた。夏の間は毎日のように外プールで泳いでいたから、自分の国籍を疑うほどに真っ黒に焼け焦げていた。建築ももちろんめちゃくちゃ頑張りたくて、全国の高専生同士で競うコンペに、何も知らない1年生のくせにのこのこ参加しちゃったりもした。先輩たちのチームに混ぜてもらったら幸運にも本選に選ばれてしまって、学校のお金で和歌山旅行ができた。ここで運良く成功例を作ってしまったせいでこの後5年間参加せざるを得ないルートになってしまったのは後の祭り。とにかく何をしてても充実してて、生活めちゃくちゃ順調じゃん、とか思ってたのは今振り返ると1年目だけだった。

 

いや長えな。このペースでいったら夜が明けてしまう。

 

2年目。自分で望んで選んだ環境なんだから頑張らなきゃ、という自分と、なんか段々しんどくなってきたな全部辞めちゃいたいな、という自分がせめぎ合っていて苦しかった。特に部活。私はもう競技として水泳を突き詰めるつもりはさらさらなくて、なんだかんだプールは好きだし、好きな先輩と話せるの嬉しいし、別に結果は出なくても楽しくやれてりゃいいやというスタンスだったんだけど、私の学年が入部した頃から徐々に部活を牛耳り始めた外部コーチのせいでそれは叶わなかった。端的に言うと部活全体のモチベーションに自分がついていけなくなってしまった。大好きだった水泳部の雰囲気がまるでそのコーチに塗り替えられていくみたいで、あんなに楽しかったはずの部活が苦痛でしかなくなって、心が折れて、逃げるように辞めてしまった。この頃はまだクラスメイトもなんとなく苦手で、教室も居心地が悪くて、部活にも行かなくなって、とにかく学校の中に居場所がないような気分だった。その頃にツイッターを始めた。それまでも情報収集のためのアカウントは動かしていたけど、自分からツイートするようになったのはこのときが初めてだった。同じ頃にバイトも始めた。人生初バイトが3年半経った今でも続いてるのはなかなかすごいと思う。いくらでも情報を手に入れられる環境ができて、それでいて自分から発散もできて、仕舞いには資金まで増えてしまったので、ここからどんどん趣味にのめり込んでいった。1人でライブにも行き始めて、何をするにしてもどんどん1人耐性がついていく。こうして人生はこじれていくのか。

 

3年目。なんか苦しかったことばっかり思い浮かぶな。建築学科らしい科目がどんどん増えてきて、本格的に設計も始まって、とにかく常に何かに追われていた。あんなに夢見ていた設計の授業は、課題という名の義務に変わった瞬間物凄く苦しくて、一時期学校を辞めることばかり考えていた。そんな時期に1年生の頃から続けていたコンペでまたしても本選に進んでしまって、毎日のように終バスまで学校に残る日々が続いたり、同じ時期にお母さんが入院して家事を一気に請け負うことになって時間的にも精神的にも参ったり、とことん追い詰められているような日々だった。ただでさえ冬が嫌いなのに、この年の冬はとてつもなく長くて、苦しくて、暗かった。苦しかったから文章も短い。

 

眠くなってきたけど終わるかなこれ。ちなみに今は2時半。本当はこのブログ、30日に書き始めて31日中に上げるつもりだったんだけど、なんか気分が乗らなくて、いや本音を言うと面倒臭さが勝ってしまって全然書き始められなかったんだよね。でも書かずにいたらいたでもやもやしてくるし、やっぱり書こうと思い立ったのが31日の夕方。相変わらずの怠惰な性格のせいで結局こうして焦っている。

 

気を取り直して4年目。心境的な変化が結構多かったかもしれない。3年生の終わり頃はどん底にいる気分だったけど、研究室に配属されたおかげでちょっと這い上がれた。教室が嫌いで、部活も辞めて、建築も嫌になっていて、どんどん学校に居場所がなくなっていたけど、研究室という居場所を獲得したことでちょっとずつ学校が楽しくなってきた。この研究室を選ぶのにも色々と悩んだけど、最終的には成り行きで、1年生の頃からコンペのたびにお世話になっていた研究室を選んだ。あとはその研究室が学内1大所帯で、学内1所謂できる人たちの集まりで、そのせいで学内1ブラックで、そんな環境に身を置けば自分ももうちょっとマシな人間に戻るかなと思ったのが理由。実際に入ってからはやらなきゃいけないことが格段に多くなったし、仕事多すぎて投げ出したいしなんでこんなとこ入っちゃったんだろうって何回も思ったけど、忙しいからこその楽しさも結構味わえた。それから何よりも、同じ研究室に配属されたことをきっかけに、それまでただのクラスメイトだと思っていた人に恋をしてしまったおかげで、毎日が楽しくて仕方なくなった。彼女には勝手に随分と助けられた。今思い返すと、自分の心の中だけに想いを秘めていたあの時期が1番心地良かった。設計やら研究やらに追われてとにかく忙しかったけど、彼女のおかげで気づいたら乗り越えられていた。浮かれている人間の力とは素晴らしい。

 

ようやく5年目。月並みなことを言うけれど、あっという間だった。体感時間は早かったんだけど、その中身は随分と濃かった。6月、初めて恋をした同性に自分の気持ちがバレそうになって、ずっと秘めておくつもりだった想いを伝えてしまって、そして、拒絶された。この出来事については今までも散々書いてきたので、ここでは多くは書かないでおく。ただ、彼女への想いをずーっと引きづったままの1年弱だった。何をしていてもずっと、頭の片隅で彼女を意識していた。3年生で1度とことん嫌になった建築は、研究室にいることで受ける刺激がとにかく多くて、4年生の後半あたりからまた少し楽しくなってきていた。悩めば悩むほど自分の設計に対して評価がもらえて、そこにはもちろん良い評価も悪い評価もあって、もっと頑張りたいと思えるようになった。ここに来てモチベーションの再上昇。秋には、自分の設計した作品が学校代表としてそこそこ大きなコンペに出してもらえることになって、社会見学のつもりで参加したそのコンペでは予想外の優秀賞に選ばれたりもした。評価してもらえたらことに対する喜びはもちろんあったけど、それと同時に賞金3万円に対する驚きが大きくて、自分の設計は金になるのかという新鮮な驚きがあった。でもこのまま上手くはいかないのが私の人生。1度評価されたことでどんどん自分にプレッシャーをかけてしまって、この後の卒業設計では見事にどツボにハマってしまう。卒業設計も最初はめちゃくちゃ頑張りたかったし、頑張るはずだった。でも、やってもやっても上手くいかなくなってしまって、もうどうしたらいいのか本当に分からなくなって、気づいたら何もできなくなっていた。1月半ばは本当に苦しかった。3年生がどん底だと思っていたけど、それを超えて沈み込んでいた。とことん沈んでいく自分の悪いところが人生最大レベルで発揮されてしまった。締め切りまでに完成する未来が本気で見えなくて、急がなきゃいけないのに頭も手も動かなくて、研究室にも行けなくて、もしかしてここまで来て卒業出来ないかもなって本気で思ったりもした。周りから見ればそんなことはなくて実際いくらでも立て直せる状態ではあったんだけど、自分にとっては本当に地獄みたいな状況で、久々に本気で死にたくなっていた。でもこのままじゃいよいよまずいし、もう自分じゃどうにもできないと思って、助けを求めるためにようやく学校に行けたのが提出2週間前。呆れられているだろうなと思っていた人たちみんな優しくて、泣いてしまいそうだった。とにかく卒業するために、もうどうにでもなれという気持ちで間に合わせた設計は、最終的には何故かそれなりの評価をもらえたりして、どうにか無事に卒業単位を揃えることができた。めちゃくちゃ苦しかったし、卒業設計なんてもう二度とやりたくないけど、最後の1週間で学校に泊まり込んでいろんな人と励まし合って乗り越えた夜は好きだったよ。5年かけてようやくクラスが好きになった。だからこそ卒業式、やりたかったなー。

 

無計画に思い出したことどんどん書いてたらこんなに長くなっちゃった。果たしてここまで辿り着いてくれる人はいるんだろうか。こんなの読んでて楽しい人いるのか?

 

昨晩連絡が来たけれど、どうやら6日から通常通りに授業が始まってしまうらしいので、残り2年間の学生生活も間も無くスタートしてしまう。2年後卒業する時には私は22歳。22年の人生のうち7年間を同じ環境で過ごすということになる。果たしてその頃どんな人間になっているのか、どんな道に進むと決めているのか、今は全く想像がつかないけど、とにかくあと2年頑張らなきゃな。今までの5年は苦しいことの方が多かったから、これからの2年は出来る限り無理せず、楽に生きたいな、なんて思っているけどどうせ叶わないんだろう。どうせなら苦しくて忙しいよりも、面白くて忙しい日々にしたいよね。2年後無事に卒業できたら、またこんな風に振り返ろうか。

 

新聞配達のバイクの音が聞こえてきたので流石に終わりにしよう。空はまだ暗いからギリギリセーフってことで。おしまい。