長い冬

やさしい金木犀のにおいは、あっという間に私たちを置いていってしまった。東北の秋は短い。こないだまで橙色の小さな花を見つけては心躍らせながら登校していたはずだったのに、今では凍えながら毎日自転車を漕いでいる。

 

というお気に入りの書き出しだけ下書きに溜めて、しばらくブログを放置してしまっていた。せっかく情緒ある文章が書けたのに、うかうかしてたらこれが使えない季節になってしまうぞ、と思い立ち、本物の冬がやってくる前に気合入れて完成させることにした。結局だらだらしてたら2週間かかったけど。雪が積もっていないからまだセーフですか?なにか書きたいなーと思う場面はちょくちょくあったけど、それをいざ文章として書ききるほどの元気はないまま、気づいたら最後にブログを更新した誕生日から4カ月近くも経っちゃった。卒論以外の文章を久々に書くからこれはリハビリとでも思っておくれ。

 

さて、何を書こうか。張り切って文字を打ち始めると、あんなもに浮かんでいた書きたかったことはどんどん飛んでいく。いくつもの風船の紐を握っているけど、うっかりそれを離して夢中でペンを持ち出すもんだから全て空に飛んでいってしまうみたいです。

 

早いものでもう12月になってしまったらしい。11月って本当に存在してた?実はまだ11月3日でこれは壮大なドッキリだったりはしない?ああ、しないですか。生きれば生きるほど体感時間が短くなって行くのが悲しいね。いつまでも3歳の頃のような体感時間で過ごしていたいよ。今年は怒涛の1年だった。2019年振り返りもそのうちやりたいな。できるかな。きっとやりたいやりたいって言ってるうちに2月になるんだろうな。

 

唐突に本題に入りますが、私が玉砕した夜からあっという間に半年が経ってしまった。こいつは一体いつまで引きずってやがるんだと思う方もいらっしゃるでしょうが、ご名答。未だに私はもがいている。否が応でも関わらなきゃいけない場面が多すぎるんだよ。どうやって断ち切れというんだ。

 

ところで今まで熟語の見た目がタイプとかいう理由で「玉砕」という言葉を使っていたけど、「玉が美しく砕けるように、名誉や忠義を重んじて、潔く死ぬこと」という意味を持っているらしい。こんなに綺麗な意味が込められていたとは思わなかった。潔さとはかけ離れた私には使う資格のない言葉なのかもしれないね。最近は少しでも気になったことがあるとすぐに調べてしまう。お陰でリサーチ班なんてあだ名で揶揄されるようになった。自分の脳で考えずにすぐに手元のスマホに頼ってしまうのはいかにも現代人の損失というような気もしますが、自分の中に際限なく好き勝手に知識が溜め込まれていく日々が楽しくもあります。ここ数日は専ら卒業設計のためのリサーチをしているけど、これがどうしたら設計に生かされるんだろうかというようなことまで深掘りしていく作業が楽しくて一向に建築が出来上がらなそうです。でも妥協はしたくない。果たして卒業できるのか。

 

本題とか言った瞬間に絶望的に話が逸れてしまった。春の終わりに完全に拒絶されて、苦しく絶望的な夏を越えて、秋が深まると共に少しだけ、ほんの少しだけ関係が回復した気がする。とは言っても複数人で喋ってる時だけに限るんだけどね。お昼時に研究室に2人きりになってしまった日なんて、一言も会話もせず、目も合わせず、ひどい日にはお互いにイヤホンをして弁当を食べ切ることもザラにある。それでも、同じ空間にいることすら避けられていた頃に比べたらよっぽどましになった。一対一でも笑って話せるようになる日はきっとまだまだ先だ。今世のうちにはそんな日が来てほしいものです。

 

でも、卒業までの2年10カ月、いや感覚的には一生この切なさや後悔を背負い続けるのだろうと覚悟していただけに、気づいたら軽口を叩き合えている状況に、気づいたら前までのようにいじられている状況に心底ほっとした。どうにかして嫌いになろうと、嫌いにならなきゃと思っていたはずなのに、たまらなく嬉しかった。ただ、ここで舞い上がって調子に乗ってしまったら馬鹿な私はまた振り出しに戻してしまいそうだから、出来る限り自分からのアクションは起こさないと決めている。許されなくていい。受け入れられなくていい。そんなこと願う資格もない。ただ、このままずっと穏やかにいられたらいいな。

 

こないだ研究室で、インドア派の私と彼女と、アウトドア派の同級生の男子の3人でだらだら喋っていた日があった。アウトドア派ってインドア派に価値観押し付けがちだよね、なんて話をした。「せっかくの休みなのにずっと家にいるのもったいなくない?」とか、「どこかに出かけたら、誰かと会ったりする方が楽しいよ!」とか。インドア派の人間は、お前も家に篭れよと強要することなんかないのに。改めて振り返ると価値観を押し付けられているという被害者意識の押し付けだと言われても反論できないな。だが異論は認めない。まあここまでは別にそんな大事なところではなくて、案の定反論してきたその男子に対して、私が言いたいことと彼女が言いたいことがどこまでもぴったり同じだったのが嬉しくて悲しかった。想像力豊かなネガティブなせいで、まるで同じ立場ですみたいな顔して私が話してるのも嫌がられてたりすんのかなとか考えてしまった。でも、あのまま一緒にいられたら、暖かく幸せな日々を過ごせたりもしたのかな、なんて思ってしまった。陽だまりでくつろぐ昼下がりも、今日は外に出たい気分かもねなんて言って街へ繰り出す夜も、私にはもうやってこない。自分がこんなに女々しい人間だとは思わなかった。いつまで経っても先に進めない。

 

四季の中で冬が1番嫌いだ。寒いのがどうしようもなく嫌いで、すぐに日が暮れてしまうのが寂しくて、毎年鬱々とした気分でどうにか冬をやり過ごしていた。でも、去年の冬は気がついたら終わっていた。学校に行くのが楽しみで、研究室で過ごす時間が楽しくて仕方なかった。それまでの人生で1番忙しい冬だったけど、好きな人と過ごす日々ならそれすらも楽しくて、ずっと春のような気分だった。今年の冬は今まで以上に長く、寒く、暗くなりそうだ。果たして春はやってくるのか。