門出

夜に家族が4人全員揃っていて、みんなのお腹にまだ余裕があって、何かおいしいお菓子がある晩は、食後の洗い物やその他の家事が落ち着いてから温かい緑茶かコーヒーを入れてお茶をするのが我が家の日常だった。でもこの習慣は昔からある訳ではなく、ここ数年で特に増えたような気がする。多分、私が中学まで毎日水泳漬けだったり、進学してからもバイトや研究室で帰りが遅くなる日がほとんどだったり、妹が高校受験のために通っていた塾を辞めたり、いろんなタイミングが重なって、ばらばらだった夜の過ごし方が揃う日が一時的に多くなったからなのだろう。

私が実家を出るまで残り2日になってしまった夜も、4人でお茶をした。その次の日は母親が月末の残業で帰るのが遅い日だったから、実質最後の晩餐のような気持ちだった。どのお菓子を食べようかななんて眺めていると、父親が就職祝いにと言って紙袋を渡してくれた。中には、この先何十年も使い続けられそうな立派な時計が入っていた。私のことを思い浮かべながらこの時計を選んでくれたのだろうなと想像すると、たまに父親を嫌いになってしまいそうな自分がすごく酷い人間に思えてしまった。お父さんのこと、いい父親だと思ってるし、基本的には多分好きだし、好きでありたい。ただ、このまま一緒に住み続けていたら多分嫌いな側面がどんどん目についてしまうのだろうな、と思ったのも家を出ようと思った理由の一つだった。父親の反応を心のどこかで気にしながら生活するのも、そんな自分も嫌だった。

それまでいつも通りの様子で私たちを眺めていた母親が堰を切ったように声を上げて泣き始めて、母親ほどの歳の人がそんな風に泣く姿など見たことがなかったから、こんなに悲しませるような選択をしてしまったのかと思うと申し訳なくなった。お母さんと暮らすのが日常ではなくなるのだという実感が湧いて、今更寂しくなってしまった。その次の日の私が実家で過ごす最後の夜も、部屋で1人で荷造りをしているところに残業を終えた母が帰ってきて、何年振りかもわからないほど久しぶりに思い切り抱きしめられて、2人でひとしきり泣いた。お母さんのことはずっと大好きなのに、こんなに遠く離れて暮らす選択をしてしまってごめんね。

このまま1人で暮らすのが当たり前になって、いつか、自分の人生を自分の意思だけで決めるのが当たり前になって、父親に何を言われようと揺るがない自分になった頃には、こうして家を出た理由を話せる日が来るかもな。嫌な側面は確かにあるけれど、できれば父親のこと嫌いにならずに生きていきたいとは思ってるんだよ。大好きなお母さんにとっての好きな人な訳だし。

泣いてばかりいる3月だったな。せめて、不安よりも期待が勝る未来が訪れていればもう少しましだったのだろうな。今は、見渡す限りの不安の中に、2%ほどの期待が押しつぶされそうに存在している。

と、途中まで書いて書きかけのまま新生活に忙殺されて放置していて、このまま下書きを削除してしまってもいいかもなとも思ったのだけど、せっかくの引き篭もりデーだからちょっくら完成させることにした。ここよりも前の部分もかなり書き足している。

空港で号泣しながら妹と母親と別れて、曇り空の中遥々大阪までやって来て、ビジネスホテルのシングルルームよりも狭いような寮の部屋で暮らし始めてあっという間に半月が経った。毎日のように同期と話せるし、ごはんを一緒に食べる人だっているし、ほとんど毎晩妹がビデオ通話をかけてきてまるで私もリビングにいるかのような感覚だし、今のところはホームシックになる暇もなく過ごしている。始まってみればなんとかなるもんなんだよな。

ただ、この先、自分の意思で誰かと家族になろうとしない限り、このままずーっと1人で暮らしていくのだろうかと考えると底知れぬ寂しさを漠然と感じることはある。とりあえず今のうちは私が私の暮らしを全て決められる、決めねばならないこの暮らしを満喫しようと思う。まあ、来月の今頃どこに住んでいるのかわからない宙ぶらりんの状況が本当に不安でしかないのですが。きっとどうにでもなるだろう。今までもどうにかなって来たんだし。