掃き溜め

もうしんどい。どう考えても溜め込み過ぎてる自覚がある。ツイートすればガス抜きできるんだろうけど、140字にまとめる気力も時間もない。頭の中や心の奥でもやもやしてるものを多分自分でも把握し切れてなくて、自分のためにも言葉にして一旦外に出したいんだけどそんなエネルギーすらない。だからここに羅列する。ろくな文章にならないだろうから私以外読まない方がいいよ。不特定多数が見る場で書くなよって話だけど。

 

何がしんどいのかわかんないくらい何もかもしんどいモードに入ってる。いつまで経ってもネガティブな自分に嫌気がさして余計鬱になる。土曜日もやらなきゃいけないことがたくさんあったのに18時半まで起き上がれなかった。ここまでだめだったのは久々。いつまでも起きられない自分のクズさ加減で余計に滅入って、起きなきゃ起きなきゃと思っても気力はどんどん減っていって、でも起きられない時間が続けば続くほど自己嫌悪は増していって、救いのないネガティブスパイラル。みんなどうやって生きてるの?

 

設計課題3つも同時並行で抱えてて、研究も進めなきゃいけなくて、その他諸々研究室の雑務も降ってきて、ただでさえ物理的にしんどい状況なのにダントツで心がしんどい。いや設計3つってアホすぎない?今まで1つだけでも死にそうになってたのに。学生のうちからこんなブラックさじゃ将来を考えるだけで暗くなる。この業界に救いはないのか。先が見えない。目標がないから、今こんなに頑張って私は一体どこに行くんだろうかと虚しくなることがある。5年前は目を輝かせながら胸を張って建築士になりたいと言えた。気づけば夢は失った。同級生の多くは次の春から社会人だというのに、私はなあなあな気持ちで進学を選んだ。ごめんね、お父さんとお母さん。惰性もあるけど、今いる研究室が面白いから、あと2年いれば私ももう少し面白い人間になれるかなっていう希望もあった。1ヶ月前までは。今じゃ、あと2年彼女に拒絶されながら過ごすのだろうかという絶望に覆われている。

 

いや、課題とか研究とか、そんなつらさどうでもいいんだよ。どうでもいいわけじゃないけど。1ヶ月前にがらりと変わってしまった日常がつらい。後悔ばっかり。毎日後悔し続けている。やり直したいことだらけ。5月に戻りたい。学校にいる間ひたすら笑っていた日々が今じゃ夢みたいだ。告白してしまったらこうなるかもしれないことはもちろん予想していた。覚悟もしていたつもりだった。覚悟はしていても、こうなることを望んでいたわけじゃなかった。現実は予想よりもずっとつらいし残酷だった。全てを終わらせようと送られた彼女からのラインを毎日読み返している。苦しくなるのは分かりきっているのに読んでしまう。正直、自分でもよくこの鋭利な言葉たちを1人きりで抱えているな、と驚くほどに痛い言葉が並ぶ。そもそも誰かと分け合える痛みではないし分け合うつもりだってない。だから1人で抱えるのが当たり前と言われればそれまで。それにしても苦しい。それでも読んじゃうのなんでだろうね。傷の残らないリスカみたいなもんだ。

 

先々週だったかその前だったか、1週間だけなぜか距離が近くなって、きっと側から見れば今まで通りに会話できてるように見えるんだろうなと思うぐらい壁が低くなった。週が明けたらまた、高く、厚く、遠い遠い壁が生まれていた。なぜかわからないまま距離が近づいて、なぜかわからないまま再び離れていった。それなら最初からずっと、残酷なほど遠いところにいて欲しかった。一度期待した自分が馬鹿みたいだ。「今は出来るだけ関わりたくないし、そっとしておいてほしい。」と告げられた以上、極力自分からは話しかけないように、目を合わせないように、彼女に視線を向けないように、彼女の記憶に残らないように、過ごしている。こんなに心がすり減ることはない。一体私は今、彼女からどう思われてるんだろうか。どう見られてるんだろうか。口も利きたくなければ顔も見たくないとか思われてんのかな。尋ねることはできない。伝えたいことは何も聞いてもらえないし、知りたいことは何も聞けないし、言い訳することもできなければ、謝ることさえ許されない。ただ、一方的に、シャットアウトされた。

 

自分がマイノリティだという自覚はある段階から持っていた。事実だし。心のどこかではきっと、少しは、受け入れてもらえるんじゃないかと思ってた。真っ向から否定されることはないだろうと思ってた。甘かった。自惚れていた。何もかも自分の中に閉じ込めておくべきだった。閉じ込めておくつもりだった。ただ、好きでいたかった。そこから先があるなんて思っていなかったし、進めなくていいと思っていた。進みたいと思う気持ち以上に恐怖があったから押し殺せていた。 どうすればよかったんだろう。私が好意を抱いている以上、いつかはこうなってたのかもな。壊れる瞬間を先延ばしにすればするほど、きっと生まれるヒビは大きくなってしまうだろうから、今のうちに壊しておいて正解だったのかもな。なんて、割り切ろうとはしているけど、全然だめ。傷は癒えようと傷跡は消えない。一生引きづるのかな。悲しみに酔っている部分もあるかもしれない。気が済むまで沈ませてくれ。

 

同じ研究室に入ってからの1年で、驚くほどに距離が縮んだ。能力的にも精神的にも、お互いに頼っていたし、助け合っていた。少なくとも私はそう思っていた。彼女と張り合えるようになりたい、彼女と向き合っても恥ずかしくない自分でありたい、という気持ちのおかげでいろんなことが頑張れていたし、多分それまでの3年間よりもだいぶマシな人間になれた。恋愛感情を抜きにしても、私の中で彼女が占める割合はものすごく大きくなっていた。そう感じてたのは私だけみたいだ。私の中での彼女の割合と、彼女の中での私の割合は、きっと天と地ほど差があったんだろう。私との関わりを絶ったところで、彼女には頼る相手も居場所もまだまだ残っている。1ヶ月前なら私に投げかけられていただろうなという言葉や表情は、別に相手が私である必要はなかった。平気そうな顔で普通に生活している姿を見て虚しくなる。自分は所詮彼女の人生からいなくなっても影響がない程度の存在でしかなかったのだと突きつけられたみたいだ。

 

自分で書いている文書ながら重すぎるよな。そりゃあ振られるわ。この状況が振られたという一言で済ませられるものなのかと、未だにしっくりきていなかったりもする。絶縁、とか拒絶、とかの方がよっぽどしっくりくる。

 

誰かの恋愛対象になってみたかったな。街を歩くカップルや、子供を連れた家族、両親、みんな私からしたら奇跡みたいで、遠い世界の話のようだ。我ながらこじらせている。

 

人生相談できる相手がほしい。相談とまでいかずとも、何もかも話せる相手がほしい。わかってもらえなくてもいい。ただ知ってもらえるだけでいい。それなりに信用できる相手にしか話したくない。でも、信用できる相手にこの事実を知られて、その人まで離れていってしまったらどうしようかと思うと、怖くて誰にも話せない。

 

今までそんなことなかったくせに、最近になってやけに母親から恋愛事情について詮索される。来月にはハタチになる娘に彼氏の1人もできないことを心配しているらしい。最悪のタイミングで向けられた心配。娘が、同性に告白して拒絶されてボロボロになってるって知ったら、どんな顔するんだろうか。きっと微塵も想像なんてしてないんだろうな。なんか、余計に、自分のこの感情には蓋をして生きていこうと思う気持ちが強くなった。

 

一旦思いっきり泣きたい。小さな子供のように大声で泣きわめくことができたらいいのに。気付いた時から泣くことが苦手になっていた。この前泣いたのはいつだろう。ボスのラストライブ以来泣けていない気がする。感動したり、嬉しかったり、悲しかったり、苦しかったり、心は動いているはずなのに、いつも涙は出てこない。自分では心が動いていると思っても、実は自分は感受性の低い人間なんじゃないかって思ってしまう。どんなに泣きたい気分でもうまく涙が出てこなくて、余計に悲しくなる。今、泣きたい気持ちがかなり溜まっている状態で、ふとした瞬間にすぐ泣きそうになる。実際には泣けないんだけど。コップのふちギリギリまで水が溜まっていて、何かきっかけさえあれば溢れてしまうような、そんな状態なんだと思う。盛岡にバニラズを見に行くための高速バスの中でこの文章を書いている。2年前の秋に盛岡でバニラズを見たとき、彼らのライブを見て初めて涙が出た。だから盛岡は個人的に思い入れのある土地でもある。今夜、同じライブハウスで彼らのライブを見る。もしかしたら泣けるかもな、と少しだけ期待している自分がいる。あんまり期待しすぎると泣けなかったときにまた悲しくなっちゃうから、ほどほどにしとかなきゃだけど。泣けるかどうかは別にしても、2時間だけは頭空っぽにして音楽浴びたいな。

 

先週の土曜だか日曜にこの文章を書き始めて、その週末のうちには書き上げたいと思ってたのに、だらだら書いてたら1週間もかかっちゃった。先週の今頃は本当にメンタルがどん底だったけど、こうやってひとつひとつ書き連ねているうちに、ちょっとだけ回復してきた気がする。ここに何を書いたところで自分を取り巻く状況は何も変わっていないんだけど、なんかもうとにかくやるしかないなって気分。あと、今までもいろいろどうにかなってきたんだから、これからもどうにかはなるだろうって気持ち。なるようにしかならないし、なるようにはなるさ。

 

時間がない時間がないって言い訳して、吐き出したい気持ちを全部自分で抱え込もうとしていたけど、少し時間をかけてでもこうやってアウトプットすること、すごく大事。自分の目で見える形にするって大事だ。こうやって自分の心の機嫌をとる方法も身につけていかなくちゃな。私の文章に、誰よりも私自身が救われている。このブログが私にとって相当大事な居場所のひとつになってる。始めて良かった。唆してくれてありがとね。

 

ずっと溜め込んでたこと、今思いつく限りは書き尽くしたからおしまい。好きで書いてるブログだから、あくまで義務にはならないように気をつけてるけど、今のところ月に1回は書くっていう目安は守れてるから私は偉い。1年生の時からもう4年も仲のいい友達が、自分に対しても周りに対してもすごく肯定してくれる人で、自己肯定感がすこぶる低い私はいつも彼女に「大丈夫だよ。偉いよ。頑張ってるよ。すごいよ。」ってたくさん言ってもらえて救われているから、私ももっと彼女を見習おうと最近より強く思った。私も、私の好きな人たちも、毎日どうにか生きてる人たちみんな、えらいよ。生きるのが下手でもどうにか生きていこうな。