エンドロール

それはそれは目まぐるしく悩ましい日々だった1ヶ月弱。の、果て、玉砕しました。

 

何もせずにバッドエンドを待つか、自分の手でバッドエンドを迎え入れるか、という2択で悩んで悩んで悩んで悩んで、きっと前者を選ぶことが彼女にとって幸せなんだろうと自分勝手に決めつけて自分勝手に覚悟を決めたのが、前回の記事で書いた出来事の1週間後。この思いを彼女に告げるということは、自分が抱えている苦しみの一部を彼女に背負わせることで、自分だけが楽になろうとする逃げなんじゃないかと思ってた。彼女を当事者にしてしまわないように、私の思いが、彼女に訪れるであろう当たり前の幸せを奪う足枷にならないように、何もかも自分の中に閉じ込めておこうと決めた。結局のところそれすらも、自分が傷つくのがこわい、何も知らないまま幸せな日々に浸っていたい、という逃げだったんだろうな。

 

ほんとうに、私はどうしようもなく自分勝手で、子供で、だめだめで、全部閉じ込めようと決めたのにどんどんぼろが出てしまった。私がもっと大人だったら、卒業するまで隠し通せたのだろうか。だけど、生きていると色々なことがありすぎる。つまるところ、私の気持ちを彼女に気づかれてしまった。気づかれてしまったのなら、いっそ思い切りぶつかって終わらせるしかなかった。くだらない臆病さなど捨てて、当たって砕けようと思った。その背中を押してくれたのも、やっぱり彼女だった。無論彼女にそんなつもりはちっともなくて、私が勝手に力をもらっただけなんだけど。今までもずっとそうだった。まったく、とことん惚れている。

 

日曜日の深夜、電話をかけた。ドキドキして平衡感覚がわからなくなりながら、口から心臓が飛び出そうなほどの緊張を抑えながら、彼女が好きだと伝えた。初めて自分の声に乗せた思いを聞いてくれたのが彼女だったのがせめてもの救いだ。とうとう伝えてしまったな、と言いようのない感情に襲われた。「少し時間がほしい、距離を取りたい」と言われた。そりゃあそうだよな。告白する、と決めた時点で、それなりの覚悟は決めたつもりだった。拒絶されることも、軽蔑されることも、最悪絶縁まで想定していた。だけど、いざ距離を置かれると、想像の何倍も何十倍も何百倍も寂しいし、悲しいし、苦しいし、申し訳なくなる。今まで当たり前にあった幸せは、このまま全部崩れてしまうのかな。1人になると色々な感情に押し潰されてしまう気がして、意味もなく夜遅くまで研究室に居残っている。隣を見ても彼女がいなくて、また胸が苦しくなる。やはり、何もかも閉じ込めておくのが幸せだったんだろうか。今更だな。後悔も未練もたらたらだ。とにかく今の私にできることは、これ以上彼女を困らせないことと、ただ待っていること。それだけ。

 

電話では随分と色々なことを話した。自分だけが苦しいような気にばかりなっていたけど、みんなそれぞれの苦しみを抱えていることを知った。自分が立っていた舞台が、実は想像できない程に広かったことも知った。彼女に告白する数日前に、件の彼と2人で帰る機会があった。雨が降りしきる中で話した暗い帰り道、遅れてきた青春のような感じがして良かった。多分これから何度も思い出すだろうな。回りくどい例え話をするのが好きな彼が言うには、私はタイトルだけがわかる映画を見ていて、彼は登場人物だけがわかる映画を見ていて、彼女は結末だけがわからない映画を見ていたらしい。私の映画は始まる前からバッドエンドなのはわかりきっていたが、彼女の映画はハッピーエンドならいいのにと願っている。私が好きな人と幸せになれることはないと決まっていたから、せめて好きな人には幸せになってほしい。それもそれできっと苦しいのだろうけど。苦しくても構わないから、ただ祈らせてほしい。

 

この恋に気づいてから、マイアミパーティのレイトショーという曲を数え切れないほど聴いた。

君の人生最後の日、

流れるエンドロールに僕の名前を探して

僕より先に知らない名前が流れて

嫉妬したりしてさ。

 

僕の人生最後の日、

流れるエンドロールは僕の名前が最初に流れて

ヒロインの君の名前が流れた時には、

涙も一緒に流れた。

 

出会う前の僕には戻れない。

この歌詞がとりわけ好きだ。さくらいさんが書く歌詞が本当に好きで、どれほど日常を丁寧に生きたら、あんなに愛に溢れて人間臭くて格好悪くて格好良い言葉を生み出せるんだろうか、と憧れている。この曲を聴いてからというものの、自分の人生が1本の映画だったら、と考えればなんとか乗り越えられそうなことが増えた。今まさに映画のような人生を送っている。まだまだ面白いことが待っているのかな。自分の人生がこんなに面白いものになるなんて思っていなかったから、どこか少し楽しんでる自分もいる。どんな脇役でもいいから、彼女のエンドロールに私の名前が流れたらいいな、なんて。

 

電話で話している最中、気づくとしきりに「ごめん」とばかり口にしてしまった。好きになってごめん、とか、伝えてしまってごめん、とか、困らせてごめん、とか、多分もっと色々。「謝らなくていいよ」と言ってくれた彼女に救われた。やっぱり好きだなあ。絶対望みがないことなんか痛いほどわかっているのに、この気持ちが全く褪せなくて困っている。玉砕したから切り替えよう、なんてことがすぐ出来るほど大人じゃない。どうしようか。

 

彼女を好きにならなければ、こんな苦しみを知ることはなかったのだろうな、と思う。でも同時に、こんな幸せな日々も味わえなかっただろうな、とも思う。とてつもなく苦しいけれど、とてつもなく幸せだった。同性に恋をしたことに後悔はない。宝物のような恋だった。

 

これからのことは何もわからない。きっとどうにかはなるだろう。どうにかならないことなんて何もないよ。って電話でも話したな。

 

深夜3時までこの文章を書いていたら、案の定今朝は寝坊した。普段滅多に夢を見ない、夢を覚えていられない私が、珍しくはっきりと夢を覚えていた。研究室で彼女と笑って話している夢だった。1週間前までの日常だった。うれしい気持ちや切ない気持ち以上に、こんな出来すぎたストーリーがあるのか、と笑いが込み上げてきた。

 

「2週間ぐらい経てば多分なんとかなってるよ」と告げられてからまだ3日。先は長い。せっかくだから、今はとことんこの苦しみに浸ってみることにする。どんな後日譚が待ってるのかな。