長い冬

やさしい金木犀のにおいは、あっという間に私たちを置いていってしまった。東北の秋は短い。こないだまで橙色の小さな花を見つけては心躍らせながら登校していたはずだったのに、今では凍えながら毎日自転車を漕いでいる。

 

というお気に入りの書き出しだけ下書きに溜めて、しばらくブログを放置してしまっていた。せっかく情緒ある文章が書けたのに、うかうかしてたらこれが使えない季節になってしまうぞ、と思い立ち、本物の冬がやってくる前に気合入れて完成させることにした。結局だらだらしてたら2週間かかったけど。雪が積もっていないからまだセーフですか?なにか書きたいなーと思う場面はちょくちょくあったけど、それをいざ文章として書ききるほどの元気はないまま、気づいたら最後にブログを更新した誕生日から4カ月近くも経っちゃった。卒論以外の文章を久々に書くからこれはリハビリとでも思っておくれ。

 

さて、何を書こうか。張り切って文字を打ち始めると、あんなもに浮かんでいた書きたかったことはどんどん飛んでいく。いくつもの風船の紐を握っているけど、うっかりそれを離して夢中でペンを持ち出すもんだから全て空に飛んでいってしまうみたいです。

 

早いものでもう12月になってしまったらしい。11月って本当に存在してた?実はまだ11月3日でこれは壮大なドッキリだったりはしない?ああ、しないですか。生きれば生きるほど体感時間が短くなって行くのが悲しいね。いつまでも3歳の頃のような体感時間で過ごしていたいよ。今年は怒涛の1年だった。2019年振り返りもそのうちやりたいな。できるかな。きっとやりたいやりたいって言ってるうちに2月になるんだろうな。

 

唐突に本題に入りますが、私が玉砕した夜からあっという間に半年が経ってしまった。こいつは一体いつまで引きずってやがるんだと思う方もいらっしゃるでしょうが、ご名答。未だに私はもがいている。否が応でも関わらなきゃいけない場面が多すぎるんだよ。どうやって断ち切れというんだ。

 

ところで今まで熟語の見た目がタイプとかいう理由で「玉砕」という言葉を使っていたけど、「玉が美しく砕けるように、名誉や忠義を重んじて、潔く死ぬこと」という意味を持っているらしい。こんなに綺麗な意味が込められていたとは思わなかった。潔さとはかけ離れた私には使う資格のない言葉なのかもしれないね。最近は少しでも気になったことがあるとすぐに調べてしまう。お陰でリサーチ班なんてあだ名で揶揄されるようになった。自分の脳で考えずにすぐに手元のスマホに頼ってしまうのはいかにも現代人の損失というような気もしますが、自分の中に際限なく好き勝手に知識が溜め込まれていく日々が楽しくもあります。ここ数日は専ら卒業設計のためのリサーチをしているけど、これがどうしたら設計に生かされるんだろうかというようなことまで深掘りしていく作業が楽しくて一向に建築が出来上がらなそうです。でも妥協はしたくない。果たして卒業できるのか。

 

本題とか言った瞬間に絶望的に話が逸れてしまった。春の終わりに完全に拒絶されて、苦しく絶望的な夏を越えて、秋が深まると共に少しだけ、ほんの少しだけ関係が回復した気がする。とは言っても複数人で喋ってる時だけに限るんだけどね。お昼時に研究室に2人きりになってしまった日なんて、一言も会話もせず、目も合わせず、ひどい日にはお互いにイヤホンをして弁当を食べ切ることもザラにある。それでも、同じ空間にいることすら避けられていた頃に比べたらよっぽどましになった。一対一でも笑って話せるようになる日はきっとまだまだ先だ。今世のうちにはそんな日が来てほしいものです。

 

でも、卒業までの2年10カ月、いや感覚的には一生この切なさや後悔を背負い続けるのだろうと覚悟していただけに、気づいたら軽口を叩き合えている状況に、気づいたら前までのようにいじられている状況に心底ほっとした。どうにかして嫌いになろうと、嫌いにならなきゃと思っていたはずなのに、たまらなく嬉しかった。ただ、ここで舞い上がって調子に乗ってしまったら馬鹿な私はまた振り出しに戻してしまいそうだから、出来る限り自分からのアクションは起こさないと決めている。許されなくていい。受け入れられなくていい。そんなこと願う資格もない。ただ、このままずっと穏やかにいられたらいいな。

 

こないだ研究室で、インドア派の私と彼女と、アウトドア派の同級生の男子の3人でだらだら喋っていた日があった。アウトドア派ってインドア派に価値観押し付けがちだよね、なんて話をした。「せっかくの休みなのにずっと家にいるのもったいなくない?」とか、「どこかに出かけたら、誰かと会ったりする方が楽しいよ!」とか。インドア派の人間は、お前も家に篭れよと強要することなんかないのに。改めて振り返ると価値観を押し付けられているという被害者意識の押し付けだと言われても反論できないな。だが異論は認めない。まあここまでは別にそんな大事なところではなくて、案の定反論してきたその男子に対して、私が言いたいことと彼女が言いたいことがどこまでもぴったり同じだったのが嬉しくて悲しかった。想像力豊かなネガティブなせいで、まるで同じ立場ですみたいな顔して私が話してるのも嫌がられてたりすんのかなとか考えてしまった。でも、あのまま一緒にいられたら、暖かく幸せな日々を過ごせたりもしたのかな、なんて思ってしまった。陽だまりでくつろぐ昼下がりも、今日は外に出たい気分かもねなんて言って街へ繰り出す夜も、私にはもうやってこない。自分がこんなに女々しい人間だとは思わなかった。いつまで経っても先に進めない。

 

四季の中で冬が1番嫌いだ。寒いのがどうしようもなく嫌いで、すぐに日が暮れてしまうのが寂しくて、毎年鬱々とした気分でどうにか冬をやり過ごしていた。でも、去年の冬は気がついたら終わっていた。学校に行くのが楽しみで、研究室で過ごす時間が楽しくて仕方なかった。それまでの人生で1番忙しい冬だったけど、好きな人と過ごす日々ならそれすらも楽しくて、ずっと春のような気分だった。今年の冬は今まで以上に長く、寒く、暗くなりそうだ。果たして春はやってくるのか。

 

狭間

ハタチってさ、もっと大人だと思ってたよね。

 

全然実感がないまま誕生日が終わっていきそう。夏休みのど真ん中、お盆が終わったか終わってないかという時期に生まれたから、大体毎年色んな人に忘れられたまま誕生日を終える。今年も家族と親戚にしか会わなかった。でも、ずっと仲のいい、できればこれからもずっと仲良くいたい友達からはラインが届いたのが嬉しかった。超上から目線だけど、流石じゃんって思っちゃった。ずーっとこんな関係が続けばいいな。大好きな人たち。

 

子供に戻りたいなって思い始めたらもう大人だ、なんて言うけど、大人にならなきゃなーとも、大人になんかなりたくないなーとも、子供に戻りたいなーとも思ってしまう私は、きっと大人にも子供にもなりきれない揺らいだ存在。いつになったら大人になれるのかな。ハンブレの"弱者の為の騒音を"の「こどものままで おとなになろう」って歌詞、めちゃくちゃ好きなんだよね。そんな歳の取り方をしたい。

 

今どきそれなりの学生生活を送っていれば、大抵の人は成人とか関係なくお酒ぐらい飲んでしまうんだろうけど、頑なに未成年飲酒を拒んできた私はようやく初めてお酒を飲みました。嘘。5日だけフライングした。家族でキャンプしてる最中に飲んじゃった。ほろよい飲んで悪酔いしたらどうする?なんて冗談言ってたけど、現実は2本飲んでも全く変化がなかったので拍子抜けした。若者でいられるうちに1回くらいはお酒でとんでもない失敗とかしてみたいよね。みんな、これからライブハウスで会ったら乾杯してください。

 

なんだか落ち着いて振り返ると19歳はめまぐるしい1年だった。安直な言葉だけど、濃かったな。私は自覚があるほどの物凄いネガティブな人間だから、すぐ何もかもに絶望してしまうのが悪いところだった。過去形ではなく現在進行形か。今でもすぐ負のスパイラルに陥りがち。だけど、この1年で、苦しい場面でもちょっとは面白がれる人間になれた気がする。苦しいことも、つらいことも、悲しいことも、泣きたいこともたくさんあったけど、人生って視点で考えたらめちゃくちゃ面白い1年になった。それこそベロベロに酔っ払った状態で誰かと語らいたい。

 

20歳の1年もなかなかに盛りだくさんな1年になりそうな予感が既にビリビリしている。面白いのはもちろんだけど、しあわせな1年になったらいいな。愛に溢れた日々を送りたい。なんてね。

 

私のことを好きでいてくれる人みんな、あなた以上に私もあなたのことが大好きです。ありがとね。我ながらめんどくさい性格をしているから、こんな時じゃないと言えないや。これからも、どうかよろしくお願いします。

掃き溜め

もうしんどい。どう考えても溜め込み過ぎてる自覚がある。ツイートすればガス抜きできるんだろうけど、140字にまとめる気力も時間もない。頭の中や心の奥でもやもやしてるものを多分自分でも把握し切れてなくて、自分のためにも言葉にして一旦外に出したいんだけどそんなエネルギーすらない。だからここに羅列する。ろくな文章にならないだろうから私以外読まない方がいいよ。不特定多数が見る場で書くなよって話だけど。

 

何がしんどいのかわかんないくらい何もかもしんどいモードに入ってる。いつまで経ってもネガティブな自分に嫌気がさして余計鬱になる。土曜日もやらなきゃいけないことがたくさんあったのに18時半まで起き上がれなかった。ここまでだめだったのは久々。いつまでも起きられない自分のクズさ加減で余計に滅入って、起きなきゃ起きなきゃと思っても気力はどんどん減っていって、でも起きられない時間が続けば続くほど自己嫌悪は増していって、救いのないネガティブスパイラル。みんなどうやって生きてるの?

 

設計課題3つも同時並行で抱えてて、研究も進めなきゃいけなくて、その他諸々研究室の雑務も降ってきて、ただでさえ物理的にしんどい状況なのにダントツで心がしんどい。いや設計3つってアホすぎない?今まで1つだけでも死にそうになってたのに。学生のうちからこんなブラックさじゃ将来を考えるだけで暗くなる。この業界に救いはないのか。先が見えない。目標がないから、今こんなに頑張って私は一体どこに行くんだろうかと虚しくなることがある。5年前は目を輝かせながら胸を張って建築士になりたいと言えた。気づけば夢は失った。同級生の多くは次の春から社会人だというのに、私はなあなあな気持ちで進学を選んだ。ごめんね、お父さんとお母さん。惰性もあるけど、今いる研究室が面白いから、あと2年いれば私ももう少し面白い人間になれるかなっていう希望もあった。1ヶ月前までは。今じゃ、あと2年彼女に拒絶されながら過ごすのだろうかという絶望に覆われている。

 

いや、課題とか研究とか、そんなつらさどうでもいいんだよ。どうでもいいわけじゃないけど。1ヶ月前にがらりと変わってしまった日常がつらい。後悔ばっかり。毎日後悔し続けている。やり直したいことだらけ。5月に戻りたい。学校にいる間ひたすら笑っていた日々が今じゃ夢みたいだ。告白してしまったらこうなるかもしれないことはもちろん予想していた。覚悟もしていたつもりだった。覚悟はしていても、こうなることを望んでいたわけじゃなかった。現実は予想よりもずっとつらいし残酷だった。全てを終わらせようと送られた彼女からのラインを毎日読み返している。苦しくなるのは分かりきっているのに読んでしまう。正直、自分でもよくこの鋭利な言葉たちを1人きりで抱えているな、と驚くほどに痛い言葉が並ぶ。そもそも誰かと分け合える痛みではないし分け合うつもりだってない。だから1人で抱えるのが当たり前と言われればそれまで。それにしても苦しい。それでも読んじゃうのなんでだろうね。傷の残らないリスカみたいなもんだ。

 

先々週だったかその前だったか、1週間だけなぜか距離が近くなって、きっと側から見れば今まで通りに会話できてるように見えるんだろうなと思うぐらい壁が低くなった。週が明けたらまた、高く、厚く、遠い遠い壁が生まれていた。なぜかわからないまま距離が近づいて、なぜかわからないまま再び離れていった。それなら最初からずっと、残酷なほど遠いところにいて欲しかった。一度期待した自分が馬鹿みたいだ。「今は出来るだけ関わりたくないし、そっとしておいてほしい。」と告げられた以上、極力自分からは話しかけないように、目を合わせないように、彼女に視線を向けないように、彼女の記憶に残らないように、過ごしている。こんなに心がすり減ることはない。一体私は今、彼女からどう思われてるんだろうか。どう見られてるんだろうか。口も利きたくなければ顔も見たくないとか思われてんのかな。尋ねることはできない。伝えたいことは何も聞いてもらえないし、知りたいことは何も聞けないし、言い訳することもできなければ、謝ることさえ許されない。ただ、一方的に、シャットアウトされた。

 

自分がマイノリティだという自覚はある段階から持っていた。事実だし。心のどこかではきっと、少しは、受け入れてもらえるんじゃないかと思ってた。真っ向から否定されることはないだろうと思ってた。甘かった。自惚れていた。何もかも自分の中に閉じ込めておくべきだった。閉じ込めておくつもりだった。ただ、好きでいたかった。そこから先があるなんて思っていなかったし、進めなくていいと思っていた。進みたいと思う気持ち以上に恐怖があったから押し殺せていた。 どうすればよかったんだろう。私が好意を抱いている以上、いつかはこうなってたのかもな。壊れる瞬間を先延ばしにすればするほど、きっと生まれるヒビは大きくなってしまうだろうから、今のうちに壊しておいて正解だったのかもな。なんて、割り切ろうとはしているけど、全然だめ。傷は癒えようと傷跡は消えない。一生引きづるのかな。悲しみに酔っている部分もあるかもしれない。気が済むまで沈ませてくれ。

 

同じ研究室に入ってからの1年で、驚くほどに距離が縮んだ。能力的にも精神的にも、お互いに頼っていたし、助け合っていた。少なくとも私はそう思っていた。彼女と張り合えるようになりたい、彼女と向き合っても恥ずかしくない自分でありたい、という気持ちのおかげでいろんなことが頑張れていたし、多分それまでの3年間よりもだいぶマシな人間になれた。恋愛感情を抜きにしても、私の中で彼女が占める割合はものすごく大きくなっていた。そう感じてたのは私だけみたいだ。私の中での彼女の割合と、彼女の中での私の割合は、きっと天と地ほど差があったんだろう。私との関わりを絶ったところで、彼女には頼る相手も居場所もまだまだ残っている。1ヶ月前なら私に投げかけられていただろうなという言葉や表情は、別に相手が私である必要はなかった。平気そうな顔で普通に生活している姿を見て虚しくなる。自分は所詮彼女の人生からいなくなっても影響がない程度の存在でしかなかったのだと突きつけられたみたいだ。

 

自分で書いている文書ながら重すぎるよな。そりゃあ振られるわ。この状況が振られたという一言で済ませられるものなのかと、未だにしっくりきていなかったりもする。絶縁、とか拒絶、とかの方がよっぽどしっくりくる。

 

誰かの恋愛対象になってみたかったな。街を歩くカップルや、子供を連れた家族、両親、みんな私からしたら奇跡みたいで、遠い世界の話のようだ。我ながらこじらせている。

 

人生相談できる相手がほしい。相談とまでいかずとも、何もかも話せる相手がほしい。わかってもらえなくてもいい。ただ知ってもらえるだけでいい。それなりに信用できる相手にしか話したくない。でも、信用できる相手にこの事実を知られて、その人まで離れていってしまったらどうしようかと思うと、怖くて誰にも話せない。

 

今までそんなことなかったくせに、最近になってやけに母親から恋愛事情について詮索される。来月にはハタチになる娘に彼氏の1人もできないことを心配しているらしい。最悪のタイミングで向けられた心配。娘が、同性に告白して拒絶されてボロボロになってるって知ったら、どんな顔するんだろうか。きっと微塵も想像なんてしてないんだろうな。なんか、余計に、自分のこの感情には蓋をして生きていこうと思う気持ちが強くなった。

 

一旦思いっきり泣きたい。小さな子供のように大声で泣きわめくことができたらいいのに。気付いた時から泣くことが苦手になっていた。この前泣いたのはいつだろう。ボスのラストライブ以来泣けていない気がする。感動したり、嬉しかったり、悲しかったり、苦しかったり、心は動いているはずなのに、いつも涙は出てこない。自分では心が動いていると思っても、実は自分は感受性の低い人間なんじゃないかって思ってしまう。どんなに泣きたい気分でもうまく涙が出てこなくて、余計に悲しくなる。今、泣きたい気持ちがかなり溜まっている状態で、ふとした瞬間にすぐ泣きそうになる。実際には泣けないんだけど。コップのふちギリギリまで水が溜まっていて、何かきっかけさえあれば溢れてしまうような、そんな状態なんだと思う。盛岡にバニラズを見に行くための高速バスの中でこの文章を書いている。2年前の秋に盛岡でバニラズを見たとき、彼らのライブを見て初めて涙が出た。だから盛岡は個人的に思い入れのある土地でもある。今夜、同じライブハウスで彼らのライブを見る。もしかしたら泣けるかもな、と少しだけ期待している自分がいる。あんまり期待しすぎると泣けなかったときにまた悲しくなっちゃうから、ほどほどにしとかなきゃだけど。泣けるかどうかは別にしても、2時間だけは頭空っぽにして音楽浴びたいな。

 

先週の土曜だか日曜にこの文章を書き始めて、その週末のうちには書き上げたいと思ってたのに、だらだら書いてたら1週間もかかっちゃった。先週の今頃は本当にメンタルがどん底だったけど、こうやってひとつひとつ書き連ねているうちに、ちょっとだけ回復してきた気がする。ここに何を書いたところで自分を取り巻く状況は何も変わっていないんだけど、なんかもうとにかくやるしかないなって気分。あと、今までもいろいろどうにかなってきたんだから、これからもどうにかはなるだろうって気持ち。なるようにしかならないし、なるようにはなるさ。

 

時間がない時間がないって言い訳して、吐き出したい気持ちを全部自分で抱え込もうとしていたけど、少し時間をかけてでもこうやってアウトプットすること、すごく大事。自分の目で見える形にするって大事だ。こうやって自分の心の機嫌をとる方法も身につけていかなくちゃな。私の文章に、誰よりも私自身が救われている。このブログが私にとって相当大事な居場所のひとつになってる。始めて良かった。唆してくれてありがとね。

 

ずっと溜め込んでたこと、今思いつく限りは書き尽くしたからおしまい。好きで書いてるブログだから、あくまで義務にはならないように気をつけてるけど、今のところ月に1回は書くっていう目安は守れてるから私は偉い。1年生の時からもう4年も仲のいい友達が、自分に対しても周りに対してもすごく肯定してくれる人で、自己肯定感がすこぶる低い私はいつも彼女に「大丈夫だよ。偉いよ。頑張ってるよ。すごいよ。」ってたくさん言ってもらえて救われているから、私ももっと彼女を見習おうと最近より強く思った。私も、私の好きな人たちも、毎日どうにか生きてる人たちみんな、えらいよ。生きるのが下手でもどうにか生きていこうな。

 

エンドロール

それはそれは目まぐるしく悩ましい日々だった1ヶ月弱。の、果て、玉砕しました。

 

何もせずにバッドエンドを待つか、自分の手でバッドエンドを迎え入れるか、という2択で悩んで悩んで悩んで悩んで、きっと前者を選ぶことが彼女にとって幸せなんだろうと自分勝手に決めつけて自分勝手に覚悟を決めたのが、前回の記事で書いた出来事の1週間後。この思いを彼女に告げるということは、自分が抱えている苦しみの一部を彼女に背負わせることで、自分だけが楽になろうとする逃げなんじゃないかと思ってた。彼女を当事者にしてしまわないように、私の思いが、彼女に訪れるであろう当たり前の幸せを奪う足枷にならないように、何もかも自分の中に閉じ込めておこうと決めた。結局のところそれすらも、自分が傷つくのがこわい、何も知らないまま幸せな日々に浸っていたい、という逃げだったんだろうな。

 

ほんとうに、私はどうしようもなく自分勝手で、子供で、だめだめで、全部閉じ込めようと決めたのにどんどんぼろが出てしまった。私がもっと大人だったら、卒業するまで隠し通せたのだろうか。だけど、生きていると色々なことがありすぎる。つまるところ、私の気持ちを彼女に気づかれてしまった。気づかれてしまったのなら、いっそ思い切りぶつかって終わらせるしかなかった。くだらない臆病さなど捨てて、当たって砕けようと思った。その背中を押してくれたのも、やっぱり彼女だった。無論彼女にそんなつもりはちっともなくて、私が勝手に力をもらっただけなんだけど。今までもずっとそうだった。まったく、とことん惚れている。

 

日曜日の深夜、電話をかけた。ドキドキして平衡感覚がわからなくなりながら、口から心臓が飛び出そうなほどの緊張を抑えながら、彼女が好きだと伝えた。初めて自分の声に乗せた思いを聞いてくれたのが彼女だったのがせめてもの救いだ。とうとう伝えてしまったな、と言いようのない感情に襲われた。「少し時間がほしい、距離を取りたい」と言われた。そりゃあそうだよな。告白する、と決めた時点で、それなりの覚悟は決めたつもりだった。拒絶されることも、軽蔑されることも、最悪絶縁まで想定していた。だけど、いざ距離を置かれると、想像の何倍も何十倍も何百倍も寂しいし、悲しいし、苦しいし、申し訳なくなる。今まで当たり前にあった幸せは、このまま全部崩れてしまうのかな。1人になると色々な感情に押し潰されてしまう気がして、意味もなく夜遅くまで研究室に居残っている。隣を見ても彼女がいなくて、また胸が苦しくなる。やはり、何もかも閉じ込めておくのが幸せだったんだろうか。今更だな。後悔も未練もたらたらだ。とにかく今の私にできることは、これ以上彼女を困らせないことと、ただ待っていること。それだけ。

 

電話では随分と色々なことを話した。自分だけが苦しいような気にばかりなっていたけど、みんなそれぞれの苦しみを抱えていることを知った。自分が立っていた舞台が、実は想像できない程に広かったことも知った。彼女に告白する数日前に、件の彼と2人で帰る機会があった。雨が降りしきる中で話した暗い帰り道、遅れてきた青春のような感じがして良かった。多分これから何度も思い出すだろうな。回りくどい例え話をするのが好きな彼が言うには、私はタイトルだけがわかる映画を見ていて、彼は登場人物だけがわかる映画を見ていて、彼女は結末だけがわからない映画を見ていたらしい。私の映画は始まる前からバッドエンドなのはわかりきっていたが、彼女の映画はハッピーエンドならいいのにと願っている。私が好きな人と幸せになれることはないと決まっていたから、せめて好きな人には幸せになってほしい。それもそれできっと苦しいのだろうけど。苦しくても構わないから、ただ祈らせてほしい。

 

この恋に気づいてから、マイアミパーティのレイトショーという曲を数え切れないほど聴いた。

君の人生最後の日、

流れるエンドロールに僕の名前を探して

僕より先に知らない名前が流れて

嫉妬したりしてさ。

 

僕の人生最後の日、

流れるエンドロールは僕の名前が最初に流れて

ヒロインの君の名前が流れた時には、

涙も一緒に流れた。

 

出会う前の僕には戻れない。

この歌詞がとりわけ好きだ。さくらいさんが書く歌詞が本当に好きで、どれほど日常を丁寧に生きたら、あんなに愛に溢れて人間臭くて格好悪くて格好良い言葉を生み出せるんだろうか、と憧れている。この曲を聴いてからというものの、自分の人生が1本の映画だったら、と考えればなんとか乗り越えられそうなことが増えた。今まさに映画のような人生を送っている。まだまだ面白いことが待っているのかな。自分の人生がこんなに面白いものになるなんて思っていなかったから、どこか少し楽しんでる自分もいる。どんな脇役でもいいから、彼女のエンドロールに私の名前が流れたらいいな、なんて。

 

電話で話している最中、気づくとしきりに「ごめん」とばかり口にしてしまった。好きになってごめん、とか、伝えてしまってごめん、とか、困らせてごめん、とか、多分もっと色々。「謝らなくていいよ」と言ってくれた彼女に救われた。やっぱり好きだなあ。絶対望みがないことなんか痛いほどわかっているのに、この気持ちが全く褪せなくて困っている。玉砕したから切り替えよう、なんてことがすぐ出来るほど大人じゃない。どうしようか。

 

彼女を好きにならなければ、こんな苦しみを知ることはなかったのだろうな、と思う。でも同時に、こんな幸せな日々も味わえなかっただろうな、とも思う。とてつもなく苦しいけれど、とてつもなく幸せだった。同性に恋をしたことに後悔はない。宝物のような恋だった。

 

これからのことは何もわからない。きっとどうにかはなるだろう。どうにかならないことなんて何もないよ。って電話でも話したな。

 

深夜3時までこの文章を書いていたら、案の定今朝は寝坊した。普段滅多に夢を見ない、夢を覚えていられない私が、珍しくはっきりと夢を覚えていた。研究室で彼女と笑って話している夢だった。1週間前までの日常だった。うれしい気持ちや切ない気持ち以上に、こんな出来すぎたストーリーがあるのか、と笑いが込み上げてきた。

 

「2週間ぐらい経てば多分なんとかなってるよ」と告げられてからまだ3日。先は長い。せっかくだから、今はとことんこの苦しみに浸ってみることにする。どんな後日譚が待ってるのかな。

くるしい

5月15日水曜日、午前7時45分。

午前中は授業がない日だから、いつもより1時間半遅く起きた朝。アラームを止めてそのまま携帯の画面を見ると、朝5時に届いていた男友達からのラインの通知。この時からちょっと嫌な予感はしていた。どうしたのかとすぐに返信したら、ちょっともったいぶった返事が来た。何ターンか会話して、恋愛相談に乗ってほしいと告げられた。

嫌な予感が増した。

簡潔に言うと、告白を手助けしてほしいという内容だった。ドキドキして、朝ごはんの味がしなくて、到底喉を通る訳がなかった。用意してもらったご飯を残すのは私のポリシーに反するからどうにか流し込んだが。頼むからこんな予感は当たらないでくれと祈りながら、彼が告白したい相手が、私がずっと思い浮かべていた相手なのかどうかを尋ねた。返信が来るまでの時間が永遠のようだった。

当たっていた。当たってしまった。彼が気持ちを伝えたい相手は、私が恋をしている女の子だった。なんでこうも嫌な予感って当たっちゃうんだろうな。胸が苦しい、だなんてよく聞くけれど、本当にあれほどぎゅーっと痛くなるんですね。苦しい。朝からずっと苦しい。学校に向かういつもの道のりがモノクロに見えた。今にも地面が崩れていくんじゃないかって思った。イヤホンから流れてくるバニラズのニューアルバムだけが救いだった。子供のように泣き喚いて駄々をこねたかった。

今日1日の記憶が曖昧だ。ぐったりだ。つかれた。頭も手も口も耳もろくに動かなくて、いつにも増してポンコツで、好きな人からは「大丈夫ー?疲れてんの?」なんて笑われた。泣いちゃいそうだった。彼の返信を読んで、「だとしたら協力できない」と返した。当然理由を聞かれた。「いくらでも嘘はつけるが正直に話したい。でもそれには覚悟がいる。覚悟が決まったら2人で直接話したい。」と答えた。と、いうところで会話は止まっている。

ここまできたら、彼にはカミングアウトしてしまおうかと思っている。まだ覚悟は決まっていないけど。でも、彼女に直接私の気持ちを伝えるまでは、このブログとツイッターを除いては、自分の中だけに秘めておきたいという葛藤もある。自分の声で好きだと伝えるのは、彼女が1番はじめがいい。

今日も学校にいる間は、私と好きな人とその彼と3人でいたし、帰り道のほとんどは彼と2人きりだった。話は切り出せなかった。私から話を切り出せる気がしない。彼が尋ねてくるのを待とうか。このまま黙ってたら何にもなかったことになったりしないかな。無理か。

私が協力することは断ったけれど、遅かれ早かれ、彼は彼女に告白してしまうだろう。そんなの嫌だ。もしそれで2人が付き合うことになんかなるのも、絶対に嫌だ。2人が仲を深めていく様子をそばで見ているなんて、絶対に嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。また胸が苦しくなってきた。私の中の醜い感情ばかりが大声を上げる。 くるしい。

彼と彼女は異性。私と彼女は同性。スタートラインがそもそも違うんだ。勝ち目なんてあるんだろうか。どうすりゃいいんだよ。ただでさえマイノリティだったのに、こんなハードモードに陥るなんてこと、あり得るのかよ。想像以上に面白いな、人生。

今朝から心がぐちゃぐちゃにかき乱されている。どうすればいいのか、本当にわからない。親にも友達にももちろん彼女にも相談できない。抑えきれなくて衝動的にこのブログを書き殴っている。

ここまで書いて寝落ちしてた。寝て起きたら全部悪い夢だったりしないかな、なんて思ったけど、彼と交わしたラインは残っていたし、このブログの下書きも残っている。

どうしたら悲しくないのか、苦しくないのか、今までの19年間をなあなあに生きてきた私には正解が見つからない。私の恋を止める権利が誰にもないように、彼の恋を止める権利も誰にもない。わかってる。こんな苦しい思いをするなら、自分の気持ちなんか捩じ伏せてしまえば良かったんだろうか。

今もまた、学校に向かっている。彼女にも彼にもどんな顔で会えばいいかわかんないな。いつも通りに笑えるだろうか。

 

さらば

改元らしいですね。完全に世間のお祭り騒ぎに乗っかってブログを書きます。生まれてからずっと平成という時代しか知らないので、明日から新しい時代が始まるかと思うとちょっとわくわくしています。こじれた人間なので、改元?そんなの興味ねえよみたいな態度でニュースを眺めていますが。昭和を生きた人々は平成が訪れる瞬間を知らなかったのに、私たちは今日で平成が終わることを知っている。なんか不思議です。

 

平成最後の〇〇というフレーズが蔓延し始めたのはいつ頃でしょうか。なんでもかんでも儚くなる気がして結構好きです。やっぱり私はこじれた人間なので、なんだかまんまと流行りに乗せられたような気がして自分からこのフレーズを使うことはありませんでしたが。

 

これだけ世間が騒いでいると否が応でも自分のことを振り返ってしまいますが、平成最後の1年、なかなかいいもんでしたよ。

 

平成最後の夏。ズボップくん。これに尽きます。平成最後どころか人生最初で最後になってしまいました。そのせいか、そのおかげか、一瞬一瞬が楽しくて、切なくて、幸せで、涙が出そうで、夢みたいでした。今でもあの1日は夢だったんじゃないかと思います。きっと走馬灯に流れるんだろうな。多分私は、あの夏を一生引きずって生きていくのでしょう。

 

平成最後の秋。恋をしました。正確には、恋に気づきました。しんどいこともつまんないこともたくさんあったけど、そんなことが霞むぐらいに毎日が煌めいていました。研究室という居場所が確立したり、一度とことん嫌になった建築がちょっとだけ楽しくなったりして、数年振りに学校に通うことが楽しいと思えました。5年間の一大行事の研修旅行も楽しかったな。圧倒的に笑っている時間が多かった。

 

平成最後の冬。私のベースヒーローが事故に遭いました。とても心が忙しい日々でした。冬休み初日に10年振りにインフルになるほどです。とにかく無事で、本当に本当に良かった。プリさん、あなたの帰りをいつまでも待っています。完全復活、楽しみにしてるからな。それから、愛してやまないバンドが解散しました。生まれて初めて好きなったインディーズバンドの最後を見届けるために、我ながらかなりの無茶をして大阪に行きました。人生で1番忙しいんじゃなかろうかというほどに目まぐるしい日々でしたが、意地でもラストライブを見に行った甲斐がありました。あなたたちの音楽に、あなたたちに、出会えて幸せでした。時代が変わろうといつまでも聴き続けるでしょう、THE BOSSS。

 

平成最後の春。あっという間に最終学年になってしまいました。なんかずっと忙しいけど充実はしています。目の前のことは結構楽しんでやっていますが、そろそろ真剣に将来のことを考えなきゃいけないし、タイムリミットも迫っているようで焦るし、漠然とした不安に襲われたりもします。若者の悩みのテンプレみたいだね。誰か解法を教えてください。研究室で過ごす時間がぐっと増えて、必然的に好きな人と過ごす時間もぐっと増えました。日に日に好きになってる気がする。もうぞっこんです。明日は令和最初の好きな人に会える日だ。時代を跨いで彼女に恋をします。

 

もうすぐ令和だってさ。別に生活ががらりと変わるなんてこともないけど、ほどほどに頑張ってやっていこうかと思います。私の時代、来ちゃったりするかな。とりあえず今日の終わりには、平成ペインを聴こうか。

 

あなたと行くのさ この道の行く末を

ぽかぽか

 朝起きたら窓の外が真っ白だった。もう4月だっていうのに、仙台にはまだ冬が居座っているらしい。凍えながら家を出たら地面はシャーベットみたいな雪で覆われていて、バス停までの5分の道のりで靴下に水が染みてきて、スニーカーを履いてきてしまったことを後悔しながらバスに乗り込んだ。寒いせいかとことんついていないせいか、気づいたらお腹が痛い。どうせそのうち治るだろうと高を括って学校に向かったけど、どうにも痛い。卒論のゼミがあったから我慢しながら話しを聞いていたけど、それでも痛い。ゼミが一区切りついたタイミングで堪らず「おなかいたい」って言って机に突っ伏したら、隣に座っていた(私がちゃっかり隣を陣取った)好きな人がふらーってどっか行って戻ってきて、「とりま暖めなよ」って貼るカイロをくれた。天使かと思った。それだけじゃなく、購買で買ったあったかいミルクティーまでくれた。それも無言で渡してくるんだよ。惚れてまうやろ。めちゃくちゃ寒いしお腹痛かったけど、トータルで見たら今日は物凄くいい日。1日でこんなに嬉しい思いをしちゃって、あとからツケが回ってきたらどうしようか。

 

 こんな浮かれたことばかり書くブログにする予定はなかったんだけど、嬉しくて自慢したくてたまらなかったので書いちゃった。学校が始まってからというものの、彼女の言葉や仕草一つひとつが愛おしかったりくすぐったかったりで忙しい。毎日好きな人に会えることが当たり前なのが幸せで仕方ない。あと、この記事のタイトルはどう考えても日向坂に引っ張られてる。私はちょっとちょろすぎ。

 

 お腹に貼ったカイロの熱が冷めるまで、あと2時間。なんか名残惜しいね。